もともとこのブログでは政治や宗教の話は避けてきました。面倒なことも嫌だなと思っていたし、誰かと論戦を繰り広げたいとも思ってません。
建設的な議論というのは覚悟と行為が伴って初めて成立するもので、リアルにしてもネットにしても匿名での議論というのは何も生み出しません。ですから、このブログでも匿名という理由で思想的な部分は敢えて書いてこなかったという経緯があります。
ですので、これから書く内容は読書感想文としての域を出ないものになるかもしれませんが、それでも思いつくまま書いてみようかなと思っています。
さて、このブログには読書感想文というカテゴリが存在します。過去22冊の読後の感想がそれぞれ書かれています。良書と呼ばれているものの中には宗教色が強いものが少なくありません。
特に遠藤周作氏の『沈黙』や『深い河』を読んで、その読後の感想などを友人たちに話していると、どうも私の考え方が仏教と親和性が高いんじゃないかという答えが返ってくることが増えました。
初期仏教や仏教哲学について少し学んでみたら?と言われたことがこの本を読むそもそものきっかけです。仏教に関しての知識が全くありませんでしたので、まずは何でもわかりやすく解説してくれる池上彰さんの本を手にしました。
誰にでもわかりやすい構成
第1章は仏教の成り立ちについて、池上彰さんが噛み砕いて伝えてくれています。そして、その仏教が日本に入ってきて死者を弔うことに特化していく様子を綴っています。原始仏教と現代の日本における葬式仏教と呼ばれるお寺との在り方にはかなりの違いがあるなと感じました。
そもそもお釈迦様というのは、目の前にある生について語ります。対して、日本の仏教は死後の旅立ちを助けることに特化しました。この違いというのはかなり明白で、例えば日本のお坊さんが東南アジアなど、戒律の厳しいお寺へ出向くと末席に追いやられるそうです。日本のお坊さんを、向こうでは出家者として見なしません。在家信者という扱いになります。
もちろん、修行者としての正しい道というのは中道だそうです。Wikipediaより引用してみます。
釈迦が鹿野苑において五比丘に対して初めての説法。
「比丘たちよ、出家した者はこの2つの極端に近づいてはならない。第1に様々な対象に向かって愛欲快楽を求めること。これは低劣で卑しく世俗的な業であり、尊い道を求める者のすることではない。第2に自らの肉体的消耗を追い求めること。これは苦しく、尊い道を求める真の目的にかなわない。
比丘たちよ、私はそれら両極端を避けた中道をはっきりと悟った。これは人の眼を開き、理解を生じさせ、心の静けさ、優れた智慧、正しい悟り、涅槃のために役立つものである。」
Wikipediaより引用
第2章では、池上彰さんとダライ・ラマ法王との対談の内容が書かれています。
チベット仏教は原始仏教の名残りをかなり留めていると言われています。問答ですね。
震災や原発など日本人が直面する問題に対して、ダライ・ラマ法王はよく言葉を選んで答えます。ここのやり取りにおいては、私はダライ・ラマ法王の魅力を感じることがあまり出来ませんでした。デリケートな問題を出版物などで公けにされるため、これはこれで仕方がないような気もします。
ふと、エディー・マーフィー主演のゴールデン・チャイルドを思い出しました。私はこの映画が大好きです。
第3章は仏教が日本人を救うかという話。突き詰めていくと、もともとの仏教の姿は死者を弔うよりも、自分の心の動きを客観的に認識する哲学に近いなと感じました。同時にやんわり日本の仏教界を批判しているんですね。
まとめ
言われてみると、確かに私はあまりお寺に親しみを感じません。お坊さんは葬儀屋さんが呼ぶ読経職人というイメージです。けれども、なんとなく無宗教だと思っている大半の日本人はもしかしたら雰囲気仏教徒なのかもしれません。その源流が原始仏教にあるのかもしれないという期待感が、新たな仏教ブームを呼びつつあるのかも。
次は中村元先生のスッタニパータ(原始仏教の教義を伝える仏典)を読んでみようと思います。
[…] 仏教へ気持ちが向きはじめたのは、池上彰さんの本をきっかけです。さらに中村元先生の原始仏教について調べたりと、私の中では仏教への関心が高まりつつあります。 […]
[…] 遠藤周作の『沈黙』や池上彰と考える『仏教って何ですか?』や、五木寛之の『隠れ念仏と隠し念仏』を皮切りに、私の中で静かな仏教ブームが到来しています。 […]