日本からお坊さんがいなくなる日

日本からお坊さんがいなくなる日

少子高齢化とか日本の経済が終わるからとか新しい宗教に取って代わるとか、全然そんなことではなくて、日本のお坊さんはその役割を終えていなくなるんじゃないかという与太話です。

葬式仏教システムの老朽化

本来の仏教は、葬送儀礼を重視する宗教ではありませんでした。日本の仏教は主として葬式仏教と言われて(揶揄されて)います。

けれども、仏教が葬式に特化したのは、私たちのご先祖様が死者を弔って欲しいとお坊さんにお願いしたのが始まりのようなんです。その辺りは池上彰さんの仏教って何ですか?に書かれています。

私たちの知っている日本仏教の多くは鎌倉仏教に端を発しています。鎌倉仏教とは、平安時代末期から鎌倉時代にかけて起きた日本仏教の変革運動で、下記六宗が挙げられます。

  • 法然の浄土宗
  • 親鸞の浄土真宗
  • 一遍の時宗
  • 日蓮の法華宗
  • 栄西の臨済宗
  • 道元の曹洞宗

この時代に成立した宗派をほとんどの日本人は耳にしたことがあるでしょう。つまり、時代のトレンドであり時代の要求ということだったんですね。もちろん政治的な絡みもあります。遠藤周作の沈黙や、五木寛之の隠し念仏などを読んだりすれば、この辺りが見えてきます。お寺と私たちの関係が作られたのは、実は江戸時代の幕府がキリスト教弾圧のために定めた檀家制度になります。面白いですよね。新勢力弾圧のために生まれたのが檀家制度です。明治維新後に今度は廃仏毀釈が始まるわけですが。。。

日本独自の葬式仏教はかなり長い間、流行ってきたといえます。ロングセラーでした。しかし、そのトレンドもそろそろ役割を終えようとしているように感じています。盛者必衰に例外はないのでしょう。

日本のお坊さんだって頑張っている人はいるよ!という反論も聞こえてきそうですが、ここで言っているのは、個々のお坊さんのことではありません。日本の葬式仏教システムの老朽化が進んで、ゆっくりと役割を終えようとしているという話です。

ありがたい宗教から理解する宗教へ

最近、戒名なんて要らない、または自分で付けるという人たちの声が大きくなってきています。先祖代々のお墓を守っていくという意識も希薄になってきていますよね。海に散骨を希望される方も増えています。海への散骨はよくこちらを読まれてください。

日本のお寺が弱体化してきています。その一方で、仏像ブームや信仰宗教の話題を見聞きします。精神世界への興味が薄れたわけではないようです。

女性のヨガブームや、断捨離もその顕著な例で、個人の具体的な行為とその成果がはっきりとわかるものです。メンタルを鍛えるために無宗教でありながら瞑想する人もいるくらいです。

仏教の源流であるインドへ

私たちの知っている仏教はもともと中国から伝わったものです。だから、難しい漢字が一杯ならんで呪文のように見えます。教えというよりは、インテリ層が学ぶ学問というニュアンスが色濃くでています。

色即是空
諸行無常
諸法無我
涅槃寂静
四諦
八正道
無明
愛別離苦
怨憎会苦
求不得苦
五蘊盛苦
十二因縁
阿羅漢などなど。

あの有名な般若心経もそのまま読んだって理解できませんよね。韻は本当に美しいと感じますが。

仏教のもともとの故郷はインドです。私たちが普段触れている日本の仏教は分厚い中国のフィルターが挟まっています。けれども、私たち現代人はこのフィルターを取り除いて、仏教の源流を辿ることが可能になりました。

知りたいと思えば、仏教の原典が日本語に翻訳されたものを読むことだってできますし、飛行機でインドにだっていけますよね。つまり、中国から伝わった仏教というフィルターを通さずに仏教を知ることが可能になった時代に私たちはいるのです。

仏教の開祖であるブッダは葬式の仕方について多少は語りましたが、それよりも眼前にある生について数多くを語りました。このあたりは、ブッダの語った言葉を収録しているスッタニパータを読めばよくわかります。(パーリ語ですが、アハハ地獄やアタタ地獄が個人的にはなんだか気になります)

小難しい言葉ではなくて、言われてみればそうかもなと思えるような、理解出来る言葉で語りかけてくれます。

結びの言葉で繰り返しが多いのが特徴的です。

マタイによる福音書、マルコによる福音書、ルカによる福音書、ヨハネによる福音書で70箇所以上書かれているイエス・キリストの「はっきり言っておく」連発に通じるものがあります。

平易で素朴な言葉で理法を説いています。これが本来あるべき言葉のあり方、対話のあり方ではないでしょうか。

行いを通して、言葉を通して、自分を正していくことで、そういった境地に辿り着くと教えられた方が批判好きな現代人にはよっぽどしっくりくる話です。実際にそういうやり取りがスッタニパータの中で出てきます。

崇めずに理解する宗教だからこそ、現代人にとって原始仏教は面白いとも言えます。

ミニマリスト ブッダ

執着から自由になったブッダは生涯お寺を持つことはありませんでした。多くの宗教法人が持っている立派な建物を持たなかったんですね。

また相手が王様であろと、遊女であろうと、卑しい身分であっても分け隔てなく生涯対話を続けました。物に対する執着だけでなく、そのハートにも執着がなかったと言えるかもしれません。