三十代半ばに差し掛かると、効率化が身に染み付いてきます。
朝のシャワーを浴びたら、下着と肌着と靴下を先に着る。
その姿はこの世のものとは思えないほどみっともないけれど、スーツを着用するにはこの手順が一番効率がいい。
また、各駅停車の鈍行より、ぱんぱんに混んだ急行列車に乗って目的地へ早く着こうとする。
点滅している青信号の横断歩道を駆け足で渡り切る。
スマホのソーシャルゲームに課金をすれば効率的にゲームを進めることが出来る。
お金と効率化は分かち難く結びついている。
誰もが時間を無駄にしたくないという思いに囚われている。
処理速度の速さが幸福化へ速度だと最近の世間では喧伝している。
速いことはいいこと。
効率化は素晴らしいこと。
だから、効率化されて手にした時間をさらなる効率に注ぎ込む。
投資会社そのもの。
俗人だろうが捨てるだけのミニマリストだろうが、このあたりに違いはない。
効率化されて生まれた余剰の時間を、効率以外に向ける心。
信号が点滅してるから走る、ベルが鳴っているから急行列車に駆け込み乗車をする。
効率化に預ける自分の人生。
不幸にならない方法はたくさんあるけれど、
幸福になれる方法は世界の何処にも書いてない。
効率化限界の時代に突入
時間泥棒で有名なミヒャエルエンデのモモ。
当たり前のことですが、人生には有限で残り時間が決まっています。
効率化は若さを食い物にする。
若くないと新しいものについて行けなくなるから。
アンチエイジングは老いに対する恐れというより、効率化に乗り遅れることへの恐れのような気がしないでもない。
加齢と共に、脳の処理速度は鈍化する。
これは事実。となると、人類に委ねられる効率化の限界値は自ずと決まってくる。
人はたちまちのうちに死んでいくのだから。
私たちの人生はこれ以上効率化出来ないところまで来てしまった。
というより、「効率が人類を見限りつつある」という言い方が正確かもしれない。
人工知能が自律的に効率化を推進する時代になりつつある。
女子高生AI「りんな」と喋ってみるとよくわかる。
彼女の会話は非常にスムーズだし、AIにとって不都合な会話は上手くスルーされる。
人工知能に会話を上手くスルーされるのは、なんとも薄気味悪い。
人間が育てたはずの効率という存在が人の手を離れて、独り立ちをする。
人が生み出した考えもまた、命を持っていると私は思っています。
「効率という考え」は若い人間の時間をたっぷり吸い取って、いよいよ人の生活から出ていくのです。
効率化が人間生活から出て行った後に、あなたの人生に何が残るでしょうか。
何も残らないのです。
過剰な便利さで浮いた時間は、恐ろしいほど軽薄なものなのです。
こんな考えに共感してくれる人はいあまりいないでしょうが、実際そうなのです。
このことは時代が進めば進むほどいよいよはっきりしてくるでしょう。