チベット旅行記マジやばい。
ってかこれを書いた河口慧海(かわぐち えかい)がガチでやばい。
原始仏教の仏典求めて、単独チベット凸。
しかも時は明治。
嘘も方便、シナ人と偽って密入国。
強盗に襲われるわ、凍死しかけるわ、餓死しかけるわだけど、
なんだかんだでチベットに辿り着くからマジでヤバい。
しかも日本人でチベット一番乗り。マジウケる。
死にかけても酒も肉も食わない慧海マジクール。
ピンチになると何故かヘボ歌を詠む慧海、マジoptimist!
死線を越えて、今度はチベット人の病気を治して助けるから、マジスゴい。
助け過ぎて、チベット法王謁見までいくから、慧海ヤバい、マジでガチ。
さらにチベットの仏教学者様をチベット語で論破していくから、タチが悪い。
目立ってしょうがない。
メッチャ怪しまれる。
空気読まない慧海マジクール。
妻をめとった坊主を俗物呼ばわり。
歯に絹着せぬ慧海ガチでヤバい。
最後は密入国がバレて、チベット脱出を画策。
クリアに一か月はかかる五重の関所を嘘八百で前人未到の数日で突破するから、マリオもビックリ。
ハッタリ慧海ガチでヤバい。
しかも、この武勇伝を全部自分でしたためる慧海ガチでヤバい 笑
簡単にまとめると、チベット旅行記のあらすじはこんな感じです。個人的には西のガリバー旅行記、東のチベット旅行記ですよ。
チベット旅行記の1ページ目がちょっと難しい文章なので、戸惑ってしまいますが本編はいたって平易な口語体で述べられており、ぐいぐい引き込まれます。
南方熊楠に通じるまがまがしい力強さとでもいいましょうか。
なんで河口慧海はチベットを目指したのか?
河口慧海という人物は、中国や日本に伝えられている漢語に音訳された仏典に疑問を抱き、梵語の原典とチベット語訳の仏典入手を目的として渡航を決意。日本人として初めてチベットへの入国を果たす。
仏教を少しかじったことがある人なら知っていると思いますが、仏教はインドで生まれ、中国を経て百済を経由して日本に入ってきました。『日本書紀』によると、仏教が伝来したのは飛鳥時代(552年)です。
鎌倉時代に入ると、仏教にも在り方も変化しました。それまでの仏教の主流が国家や貴族のためのものだったのが、次第に民衆の救済のためのものとなっていきました。現在の日本の仏教徒の大半はいわゆる鎌倉仏教に属しています。
原始仏教についてもっと詳しく知りたい方は、中村元先生の「ブッダのことば―スッタニパータ」を読んでみてください。
快も不快も執着でしかない。犀の角のようにただ独り歩め。 ブッダのことば―スッタニパータ