浦島太郎が助けた亀の皮肉がウケる!太宰治の『お伽草子』

お伽草子 太宰治

新潮文庫の表紙は大きな鬼のお面。素敵な装丁デザイン。お伽草子のタイトルからもわかるように、日本や中国の民話をベースに太宰治が独自の視点から「大人風」にアレンジしたものです。

この大人風という言い方がちょっとしたミソで、収録されている『浦島さん』や『カチカチ山』などは、現代落語として再話しても面白いんじゃないかと思うくらい、とてもよくできています。大人のいやらしさ、現実と向き合うためのユーモアがこの作品には詰まっています。

浦島さん

すこし面白い箇所があるので抜粋してみましょう。浦島に助けられた亀がいいます。

「せっかく助けてやったは恐れ入る。(中略)それじゃ私だって言いますが、あなたが私を助けてくれたのは、私が亀で、そうして、いじめている相手が子供だったからでしょう。亀と子供じゃあ、その間にはいって仲裁しても、あとくされがありませんからね。それに、子供たちには、五文のお金でも大金ですからね。

しかし、まあ、五文とは値切ったものだ。私は、もう少し出すかと思った。あなたのケチには呆れましたよ。私のからだの値段が、たった5文かと思ったら、私は情けなかったね。それにしてもあの時の相手が亀と子供だったから、あなたは五文でも出して仲裁したんだ。まあ、気まぐれだね。しかし、あの時の相手が亀と子供でなく、まあ、たとえば荒くれた漁師が病気の乞食をいじめていたのだったら、あなたは5文はおろか、一文だって出さず、いや、ただ顔をしかめて急ぎ足で通り過ぎたに違いないんだ」
お伽草子 浦島さんより




著者について

太宰 治(だざい おさむ、1909年(明治42年)6月19日 – 1948年(昭和23年)6月13日)は、日本の小説家である。本名、津島 修治(つしま しゅうじ)。1936年(昭和11年)に最初の作品集『晩年』を刊行し、1948年(昭和23年)に山崎富栄と共に玉川上水で入水自殺を完遂させた。主な作品に『走れメロス』『津軽』『お伽草紙』『斜陽』『人間失格』。その作風から坂口安吾、織田作之助、石川淳らとともに新戯作派、無頼派と称された。
Wikipediaより

もともと太宰治が嫌い

まずは、率直な感想から。私はこのお伽草子を読んで、太宰治をとても好きになりました。実際のところ、太宰治が嫌いという人はとても多いのではないかと思います。私もその一人。

なんと言っても、彼の作品の『人間失格』と太宰自身の愛人を巻き込んでの『自殺』という二つのキーワードがあまりに強烈で、遮光カーテンのように太宰の作品を覆い隠し、私のような一般の読者には陰気で憂鬱な気取った横着者の文学者という印象をなかなか拭えないのです。

ただ、この『人間失格』は既に累計600万部を突破しており、あの夏目漱石の『こころ』と未だに累計部数を競っていると言われ、良書であることは間違いないでしょう。近々、読もうと思います。




走れメロスと人質

あの有名な走れメロスは太宰治のオリジナルの作品ではありません。ドイツの詩人フリードリヒ・フォン・シラー(Friedrich von Schiller)の『人質(die Bürgschaft)』がベースとなっています。日本で最も愛されているクラシックであるベートーヴェンの交響曲第9番、第4楽章の詩『歓喜に寄せて』も実はこのシラーの詩です。もともと、太宰治という作家は、古典や海外文学を骨組みとして、その上に肉付けをしていくことが得意な作家だったようです。これは彼独特のスタイルですね。

太宰治とシラーの死に様の違い

太宰治は4回の自殺未遂をし、そしてとうとう入水自殺して果てました。シラーは肺病のため若くして死にます。その身体を見た者は、シラーがどれほど病弱な体に鞭打って自身の人生に挑んだかを肉眼で確認できるほど、ボロボロになっていたといいます。

この二人の死に様は どこまでも対照的です。『人間失格』と『歓喜に寄せて』の二つの旋律を特に好む日本人とはなんとも不思議な国民性だと思わずにはいられません。

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