般若心経の入門書に最適な一冊といえば、玄侑和尚の『現代語訳 般若心経』

般若心経の入門書に最適な一冊といえば、玄侑和尚の『現代語訳 般若心経』

遠藤周作の『沈黙』池上彰と考える『仏教って何ですか?』や、五木寛之の『隠れ念仏と隠し念仏』を皮切りに、私の中で静かな仏教ブームが到来しています。

宗教に対して怪しげなものとレッテルを貼ることは簡単です。確かに、カルトの危険性というのは多くの方が認識している通りですし、この点については何の異論もありません。

ただ、日本人の日常的な習慣などを少しでも調べていけば、実は私たちの生活というのは宗教と切っても切れない関係にあるというのはすぐに気づかされることです。

宗教について少しでも知見を深めておくことは、カルトへの予防線にもなるような気がしています。

2冊の般若心経入門書

般若心経の入門書としてよくあがってくるのが、玄侑和尚の「現代語訳 般若心経」と中村元先生の「般若心経・金剛般若経」の2冊になります。私は2冊同時並行で読み進めましたが、般若心経の入門書としてわかりやすいかと言えば、玄侑和尚の「現代語訳 般若心経」になります。

もちろん、中村元先生の「般若心経・金剛般若経」も内容は確かに素晴らしいのですが、学術的な視点から展開されているため、ある種のスルメ本ですね。この本については別途読書感想文を書きます。

般若心経って何ですか?

当ブログ記事の『般若心経、はじめました』でも一度解説していますが、般若心経は、日本で最もポピュラーなお経で様々な宗派で唱えられています。

正式名称『般若波羅蜜多心経』(はんにゃはらみったしんぎょう)は、たった300字足らずの本文に大乗仏教の「空」の心髄が説かれているとされています。
この般若心経は、西遊記でも登場する玄奘三蔵訳とされるの漢訳版がほとんどです。

般若心経がちょっと怖い呪文か何かと思っているのであれば、それは大きな誤解です。般若心経と般若のお面とは何の関係もありません。

あの怖いお面は、般若坊というお坊さんが作ったことから、そのように呼ばれるようになったというのが有力な説です。般若とは、サンスクリット語のパンニャー(prajñā)を漢字に当てはめたもので、これは「智慧」を指します。

これが日常的に使われている「知恵」と混同しないように、あえて般若(智慧)と言っているようなのです。

また、素人が唱えると魑魅魍魎が寄ってくるなんて話も聞きますが、理性的に考えて(仏教は理性的に考えるものだと思ってます)まずそんなことはないと思うんです。

だって、「悪霊退散!」とか書いてないんですよ、般若心経って。あと生臭坊主がたくさん唱えてるので大丈夫ですよ〜絶対(笑)

不思議なことに現存する最古のサンスクリット本はこの日本にあるのです。東京国立博物館所蔵に所蔵されいて、インドやチベットにもこれより古い般若心経はないんです。葬式仏教と揶揄される日本の仏教でも、ここだけは胸を張っていいんじゃないでしょうか。

ネットの般若心経現代超訳に物足りない向け

ネットで最も有名な般若心経現代超訳は『超スゲェ楽になれる方法を知りたいか?〜』から始まる、般若心経の『超訳』です。

超訳とは、訳文の正確さを犠牲にしてでも読みやすさ・分かりやすさを優先させる翻訳手法ですので、この内容を読む限り、現代語訳とするにはかなり無理があります。ただ、これはこれで価値あるものだと思っていますので、紹介させていただきますね。

超スゲェ楽になれる方法を知りたいか?
誰でも幸せに生きる方法のヒントだ



もっと力を抜いて楽になるんだ
苦しみも辛さも全てはいい加減な幻さ、安心しろよ。
この世は空しいモンだ 痛みも悲しみも最初から空っぽなのさ



この世は変わり行くモンだ 苦を楽に変える事だって出来る
汚れることもありゃ背負い込む事だってある
だから抱え込んだモンを捨てちまう事も出来るはずだ



この世がどれだけいい加減か分ったか?
苦しみとか病とか、そんなモンにこだわるなよ



見えてるものにこだわるな 聞こえるものにしがみつくな
味や香りなんて人それぞれだろ?何のアテにもなりゃしない
揺らぐ心にこだわっちゃダメさ それが『無』ってやつさ。



生きてりゃ色々あるさ 辛いモノを見ないようにするのは難しい
でも、そんなもんその場に置いていけよ



先の事は誰にも見えねぇ
無理して照らそうとしなくていいのさ



見えない事を愉しめばいいだろ
それが生きてる実感ってヤツなんだよ



正しく生きるのは確かに難しいかもな
でも、明るく生きるのは誰にだって出来るんだよ



菩薩として生きるコツがあるんだ、苦しんで生きる必要なんてねえよ
愉しんで生きる菩薩になれよ
全く恐れを知らなくなったらロクな事にならねえけどな
適度な恐怖だって生きていくのに役立つモンさ



勘違いするなよ 非情になれって言ってるんじゃねえ
夢や空想や慈悲の心を忘れるな それができりゃ涅槃はどこにだってある



生き方は何も変わらねえ、ただ受け止め方が変わるのさ
心の余裕を持てば誰でもブッダになれるんだぜ



この般若を覚えとけ。短い言葉だ



意味なんて知らなくていい、細けぇことはいいんだよ
苦しみが小さくなったらそれで上等だろ



嘘もデタラメも全て認めちまえば苦しみは無くなる、そういうモンなのさ
今までの前置きは全部忘れても良いぜ



でも、これだけは覚えとけ
気が向いたら呟いてみろ 心の中で唱えるだけでもいいんだぜ



いいか、耳かっぽじってよく聞けよ?



『唱えよ、心は消え、魂は静まり、全ては此処にあり、全てを越えたものなり。』
『悟りはその時叶うだろう。全てはこの真言に成就する。』



心配すんな。大丈夫だ。

上記の『超訳』とは別に実際の般若心経を読んでみればわかりますが、明らかに売れっ子ラッパーよろしく「韻」を踏んでます。繰り返し唱えることに心地よさを感じるように作られています。

般若心経は「空」の真髄を説いているとされていますが、その意味を私たちがすぐに理解することはとても難しいです。繰り返しとなえる事で雑念を払い、無念無想の境地に至る事を目的としています。これを陀羅尼なんて言ったりします。(だらに = 記憶して忘れない)

もちろん、原始仏教では呪文めいたものを原則禁止としていることから、この般若心経を批判する向きもあります。特に最後の訳すべからずとされる『羯諦羯諦(ガーテー、ガーテー)、波羅羯諦(パーラガーテー)、波羅僧羯諦(パーラサムガーテー)、菩提薩婆訶(ボーディー、スヴァハー)〜』は後から付け加えられたのではないかという説もあります。ここが般若心経のすごく面白いところなんですよね! 原始仏教では禁じられていたはずの呪文が、般若心経では使用されているという点です。

しかし、原始仏教後に成立した大乗仏教という考え方では、修行者のみが救われるのではなく衆生を救うのが仏教の本来の役割ではないかと考え、生み出されたものが般若心経なのです。そう考えていくと、般若心経とは世俗を生きる私たち向けの『生きた哲学書』とも言えるのではないかと思うのです。

玄侑和尚の交通整理が上手い

この本では、玄侑和尚が丸々一冊かけて、現代人の視点から般若心経を解説してくれるので大変読みやすいものとなっています。般若心経はあまりに多くの宗派や仏教学者の間で研究されつづけているテーマの一つであるため、般若心経について調べれば調べるほど混乱してきます。

玄侑和尚は、その辺りを上手く整理していきながら、まずは大まかな輪郭から説明していき、徐々に般若心経の実践へと促す構成は素晴らしいと思いました。巻末には様々な空海筆の般若心経や、良寛筆の般若心経なども掲載されています。良寛和尚の独特なへたうまフォントは、是非とも発売して欲しいところです。

もちろん、般若心経の読み方もルビが振ってあるので、すぐにでも実践できます。

私は、玄侑和尚の「現代語訳 般若心経」と中村元先生の「般若心経・金剛般若経」の2冊を読み終えてます。現在は、般若心経を読んでみるということを新しい習慣として取り入れています。

この本はそういう気にさせてくれる素敵な一冊です。

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