私は読書感想文を書くのが大好きです。(書評と言わないのがミソ)
このブログで44冊の読書感想文を書いてきているので、なんとなく書き方のスタイルというのは確立されてきたかなと思っています。
ただ、この本だけは何から書けばいいのか皆目見当がつかない。
日本三大奇書の1冊と言われるのも、なるほど頷けます。面白いことに、ネット上にも読書感想の体を成しているものがほとんど見当たらないのです。
普段から活字に親しんでいない人は、窓から投げ捨てたくなるはず。
読者をこんなに引きずり回す本に、私は出会ったことがありません。
体力ゲージを削る奇書いや、魔術書ですね。読んでると本当に疲れてくるんですよ。
気が狂うというよりは呪われると言ったほうがいいかもしれません。
そもそもあらすじがあるようでない。
干からびた胎児のヘソの緒のようなぼそぼそとした物語の「筋」があるものの、どうもこれが信用できるのかできないのか、すぐにわからない仕掛けになっている。
骨太なストーリーではありません。
物語として最初から最後まで、きっちり糸を通してあるんだけど、その糸にぐるっと巻きつくように挿入される様々な話が、とにかく不気味というか読んでて気持ちを不安定にさせるんです。。。
ドグラ・マグラとは?
1935年(昭和10年)に刊行。小説家 夢野久作(ゆめの きゅうさく)の小説。
推敲・執筆に10年以上の歳月をかけて完成させました。
小栗虫太郎『黒死館殺人事件』、中井英夫『虚無への供物』と並んで、日本探偵小説三大奇書に数えられていいます。
「ドグラ・マグラ」の意味は、切支丹バテレンの呪術を指す長崎地方の方言とされたり、「戸惑う、面食らう」や「堂廻り、目くらみ」がなまったものともとれる記述がありますが、詳しくは明らかになってはいません。
あらすじ
物語は、大学医学部精神病科の独房で主人公が目を覚ますところからスタート。
彼には記憶がなく、独房にやってきた若林教授に連れられ、記憶を取り戻す為に研究室へ。
研究室には主人公の記憶を取り戻す為の資料があると聞かされる。
そこには、まことにキテレツな資料の数々。
昔の中国での出来事、九州で起きた殺人事件、死人を描いた古い絵画、
精神病患者の治療に関する文献、祭文?やら論文やら精神病患者のインタビュー記事などなど。
その中に『ドグラ・マグラ』というものがあり、物語の全体の流れを暗示しています。
主人公は記憶を記憶を取り戻すことができるのか?
狂気の肉付け
要約が不可と言われている一因として、モリモリな肉付けです。
とにかく話が飛んだり跳ねたりするので、物語の筋が見えにくくなっています。
どうな風に飛び跳ねてるかって? 少しご紹介しましょう。
巻頭歌
胎児よ
胎児よ
何故躍る
母親の心がわかって
おそろしいのか
キチガイ地獄外道祭文
ア――あ――。まかり出でたるキチガイ坊主じゃ。
背丈せいが五尺と一寸そこらで。年の頃なら三十五六の。それが頭がクルクル坊主じゃ。
眼玉落ち込み歯は総入歯で。
痩やせた肋骨あばらが洗濯板なる。
着ている布子ぬのこが畑の案山子かかしよ。
足に引きずる草履ぞうりと見たれば。
泥で固めたカチカチ山だよ。
まるで狸の泥舟どろぶねまがいじゃ。
乞食まがいのケッタイ坊主が。たたく木魚に尋ねてみたら……スカラカ、チャカポコ。チャカポコチャカポコ……
絶対探偵小説 脳髄は物を考える処に非ず
……時に君は探偵小説を読むかい。
ナニ読まない。読まなくちゃいかんね。
近代文学の神経中枢とも見るべき探偵小説を読まない奴はモダンたあ云えないぜ。
ナニ……読み飽きたんだ……ウハハハ。コイツは失敬失敬。
さもなくとも君の商売は新聞記者だったっけね。アハハハハ。イヤ失敬失敬。
胎児の夢
人間のタネである一粒の細胞が、すべての生物の共同の祖先である微生物の姿となって、子宮の内壁の或る一点に附着すると間もなく、自分がそうした姿をしていた何億年前の無生代に、同じ仲間の無数の微生物と一緒に、生暖かい水の中を浮游ふゆうしている夢を見初める。
その無数とも、無限とも数え切れない微生物の大群の一粒一粒には、その透明な身体に、大空の激しい光りを吸収したり反射したりして、或は七色の虹を放ち、又は金銀色の光芒こうぼうを散らしつつ、、、
空前絶後の遺言書
ヤアヤア。遠からむ者は望遠鏡にて見当をつけい。
近くむば寄って顕微鏡で覗いて見よ。吾われこそは九州帝国大学精神病科教室に、キチガイ博士としてその名を得たる正木敬之とは吾が事也。
今日しも満天下の常識屋どもの胆きもっ玉をデングリ返してくれんがために、突然の自殺を思い立たったるその序ついでに、古今無類の遺言書を発表して、これを読む奴と、書いた奴のドチラが馬鹿か、気違いか、真剣の勝負を決すべく、一筆見参仕るもの……
ね、要約しようとも思わないでしょ?