スウェーデンの映画監督イングマール・ベルイマン。イングマール・ベルイマンは20世紀を代表する映画監督。
ベルイマンの父が牧師であったため、作品もキリスト教に関するものや生と死をテーマにした作品が多い。
鑑賞後の感想としては、久しぶりの大当たり作品!といった印象です。
モノクロ作品ですが、むしろモノクロだからこそ冬の光の冷たさとストーリーの力強さが鮮烈に映し出されています。
テーマは「神の沈黙」。
実は、神の沈黙をテーマとしたものは1960年代に発表された全部で3作あると言われています。
『鏡の中にある如く』
『冬の光』
『沈黙』
私たち日本人には馴染みが薄いですが「神の沈黙」は、キリスト教にとってはかなり重いテーマ。
敬虔なキリスト教徒が必ずぶつかると言われる神への問い。
遠藤周作の名著「沈黙」でもこれが主たるテーマとして扱われています。
宗教小説であり、ホラー小説でもある異色作品。『遠藤周作』の沈黙
時代背景は、日本の歴史上最大規模の一揆『島原の乱』が終わった直後の日本。そこに、信心に燃える2人の宣教師が訪れ、生き残った貧しい切支丹たちを前にキリスト教に対する根源的な問いと向き合っていく話。表題の沈黙している者とは誰のことなのか?また何故沈黙を続けるのか? 宗教小説でありながら、ホラー小説でもある異色の作品。
鋭敏な知性が最後に対決するのは、まさしく神の沈黙なのです。
「神の沈黙」が何を指すかは、本作品を鑑賞してご自身で確認してみてくださいね。
簡潔で重厚なストーリー
この手の作品というのは、カルト映画のように独自色が強すぎたり、難解で理解しがたいものがある中で、このストーリーは非常に簡潔でありながら、納得のいく結末です。
しかし、新約聖書の基礎知識と、神の沈黙についての事前知識がないと、結末の意味が浮かび上がってきません。
配置される4人の悪魔
悪魔というと何かおどろおどろしい存在をイメージしがちですが、ここでいう悪魔とはバランスを崩していびつな形で突出した人間性のことを差します。
1人目の悪魔的存在は知性偏重で干からびた神父、2人目はあけすけな愛情を示す女、3人名は俗物的なオルガン弾き。
そして、4人目は片足の不自由な神父の従者(片足が不自由という形姿は、まさしく悪魔の象徴です)。
実は、この片足の不自由な人物がこの作品の最大のキーマンだと私は考えます。
それは、物語最後の場面、誰もいない礼拝堂で説教をはじめる前の神父と従者の会話に注目してください。
この1点に向かってストーリーは進んでいきます。