朝日新聞での連載開始からちょうど100年たった2014年4月20日に、再度この新聞への連載が開始されて話題の作品。すごいですね、大正3年に出された作品とはとても思えない内容です。読了三回目。
共感反感だけで言ってしまうと、この作品好きじゃあないんです。苦手というか、嫌いなんです。これが好き、いい作品だと公言出来る人を私は警戒してしまうかもしれません。それでもさすが良書中の良書というだけあって、場面場面の描写には読者を絡め取る不思議な力があるのでついつい終わりまで読んでしまいます。そして、読み終わった後に胸をぐっと握られたような心持ちになるんです。こんな感覚が素晴らしいという人はいないでしょう?
「あなたは本当に真面目なんですか?」
“先生”の言うこの台詞にいつもぎくりとさせられる。けれども、これをしっかり聞いておかなければ読者は物語に立ち入ることが許されない。
身につまされる。正にそんな作品です。人生はいいことばかりじゃありません。人は真っ当だと信じた幸福の為に、小さな罪悪を犯すことがあるかもしれません。それがこんなに大きく膨らんで人生全体を暗い彩りのないものへと変化させてしまうというのは、誰にでも起こりうること。肥大化する闇と真実の惨たらしい力強さ。
よく言われている、歳を取ったらこの作品の良さがわかるというのはちょっと違うかな。自分自身と膝を付き合わせて対話したことがあれば、この作品が暗闇一様で出来てはいないことを看取できるかもしれないです。
しみったれた多彩な人生
大切なのは変えられないものを受け入れる力。大人が”こころ”に共感するのはまさにこの一点に尽きるかもしれません。若い頃に夢見た理想とは程遠い今。もちろん、その頃に見ていた夢というのは実は誰かがすでに作り上げた理想像であったりすることもよくあること。それでも、やっぱり若いこころが生み出す最高の宝物です。
大人になると、現実という型に押し込められたしみったれた自分をいつもじっと見るのです。仕事帰りの電車では疲れた身体をつり革に預けて前を眺めていると、綺麗な女が紙切れの中から話掛けてきます。自動車保険や永久脱毛、英会話に不動産など。女は変わっても言葉は一様です。仕事をしてほつれた自分を電車の窓に映すと、しみったれたと形容するのがしっくりきます。このしみったれという言葉が、焼き鳥屋で代々受け継がれている秘伝のタレのように思えて私は好きなんですが。。。言うなれば、”こころ”はしみったれた人生訓が詰まった作品です。”先生”はしみったれです。
赤提灯にふらふらと誘われて一人で焼き鳥を食み苦いビールを呑んでいるサラリーマンは、読まずともこの”こころ”をよく知っているのかもしれません。理想とは程遠いこのしみったれた感情の中に人生の歩みを進ませる力があるはずです。一様に無気力に見える大人の表情から人生訓を汲み上げたいのであれば、この”こころ”は何かしらの手掛かりになると思っています。