15分の勉強ですら辛い(笑)
仕事の勉強って気が重くなりませんか? 私は会社から宿題を持って帰るような心持ちになってしまって、仕事の勉強がなかなか捗りません。
読書やチェロの練習やWebサイトを立ち上げたりするのは時間を忘れて没頭出来ますが、仕事の勉強となるとたった15分でも長く感じます。嫌なら勉強なんて辞めてしまえばいいじゃないかと言われるかもしれませんが、いい大人がそんなんじゃ生活を維持していくことは出来ません。そこまで嫌いな分野でもないんですが、不思議です。
仕事の勉強は苦行そのもの
自分にはなかなか得難いもの、けれども必要だと言われているものを取り入れるための勉強を努力と呼ぶんだと自分に言って聞かせると、なんだか納得が行くような気がします。一時期、ゲーミフィケーションなんて言葉が一時期流行ったりもしましたが、あんなものは眉唾です。ゲームのルールを考えている間に必要とされるものが刻々と変わる時代です。俗世を離れて苦行僧のように自分と向き合う勉強が世の中の大半の勉強というやつじゃないでしょうか。だから、人とは違うことが出来るようになる。人の役に立てる。まぁ、自分の生活を維持する上で役に立つだけでもいいかもしれません。
なんで仕事の勉強が辛いのか?
仕事の勉強が辛い理由を少し考えてみましょう。その仕事をして賃金を得ているということは、あなたはその分野に詳しいはずです。どの分野でもそうだと思いますが、上には上が、また更にその上が・・・います。また、仕事の内容に目を向けて見ると、どこまでいっても底が見えません。これまた底なし沼です。
上司や組織が「仕切り」を作ってくれているのであなたはその中で限られた仕事が出来るのです。この仕切りの存在に気付いているからこそ、仕事の勉強が辛いと感じられるのかもしれません。誰かに仕切りを取り除かれるまえに、自主的に仕切りを取り除くリスクを考えると少しぞっとします。もしかしたら、仕事の勉強が辛い人は現実と向き合うことを知っている人なのかもしれません。ひとつ確かなことは、遅かれ早かれパーテーションで仕切られた部屋から出ていく日が来るということです。
会社の中には小さな巣立ちの繰り返しがあります。無事に巣立った人、朽ちた巣に残り続ける人、托卵する人、補食される人、若くして親鳥になる人など、色々パターンはありますよね。ここで言う巣とは立ち位置のことです。どの立ち位置が自分にとってベターなのかを知るためには、日々の仕事の勉強が不可欠です。
平日の通勤時に仕事の勉強をする
私は仕事の勉強が嫌いです。なので、休日は仕事の勉強が出来ません。やる気が起きないのです。しかし、仕事の勉強は毎日進めていかなければいけません。私は仕事の勉強に限って、平日の通勤時間を主として勉強するようにしています。iPhoneのブラウザには閲覧制限をかけているので、余計なサイトは見れないようになっています。何もすることがないから毎日30分ほど仕事の勉強をする。こんな後ろ向きな勉強をずっと続けています。最近はこの所作が習慣化されてきたようで、苦痛も若干軽減されたかもしれません。
自分に負けない気持ちも大事ですが、自分にちょっと負けちゃいながら、自分のイヤな気持ちを誤摩化しながら、こそこそ勉強していくというスタイルも悪くないのかなと思う今日この頃です「仕事の勉強なんてしなくていいんだよ」と言ってくれた仕事がデキる勉強家の先輩がいました。この言葉の意味をいつも考えてしまいます。