2014年6月7日放送の「MBSヤングタウン土曜日」(MBSラジオ)でのさんまさんの「努力観」がネットでもスゴい話題になっているみたいですね!
「努力が報われると思う人はダメですね。努力を努力だと思ってる人は大体間違い」
「好きだからやってるだけよ、で終わっといた方がええね。これが報われるんだと思うと良くない。こんだけ努力してるのに何でってなると腹が立つやろ。人は見返り求めるとろくなことないからね。見返りなしでできる人が一番素敵な人やね」(MBSラジオより)
多くの人は属するために「努力」する
この意見に私もすごく考えさせられたし、強く共感しました。
さて、ここからは一般人である私なりの「努力観」になります。
芸能関係での努力云々ではなくて、私たちにごくごく身近な努力の代表例と言えばずばり受験ではないでしょうか。これが日本人の「努力観」を形作っているといっても過言じゃないと思います。学校や大学が定める合格基準に達してその組織に属するための苦しい勉強。それが「努力」だと。
無事に受験が終わると今度は資格に向けて「努力」したり、会社という組織に属するために就活をしたりします。才能で食べていけない人は、どこかの組織に属することが大半。組織に属するには「努力」が必要不可欠。
「努力」という言葉が苦痛や苦労を伴うイメージを常に想起させるのは、何かに属するために自分を変えなきゃいけない場面が多いからです。社会に対して自分の接点を見出すために自分自身を変化させる行為を私は「努力」と定義しています。
もちろん、「努力」は報われないことの方がずっと多いです。自分もそれは何度も痛感しています。ただ、やらなきゃいつまで経ってもゼロのまま。
好きだからやるは才能の話
好きだからやってるのは「努力」とは違うような気がします。それは個性というか一種の才能。これは私がイメージする「努力」とは少し軸がずれてしまう。
はっきり言ってしまうと、私は見返りがあるから「努力」します。どこかに属するために、誰かに認めてもらうために、自分を変える為に辛い思いをして「努力」します。
私が勤務している会社にも今年の4月に新入社員が入ってきました。彼らは自席で難しい顔をしながらプログラムの勉強や出されている課題に日々取り組んでいます。好きだからやってるようにはとても見えないですね(笑) 自分を現在進行形で変化させている最中。だから、ちょっと苦しそうだし辛そう。だけど、こういう姿を私は「努力」だと思っています。彼らにも「努力」している自覚はあるでしょう。
凡人こそ努力するべきです。