シュガーハイって言葉を知っていますか? 欧米でよく知られている考え方で、糖分の多い飲料や、食品を大量に摂取することにより、血中の糖の濃度が急激に高まり、興奮状態になることを言います。科学的根拠云々はひとまず置いておいて、人が夢を追い続ける姿がこのシュガーハイという現象と妙にダブってしまうように思えてならないのです。
夢を追う事の素晴らしさを説く社会と、白い砂糖の入った食品が蔓延する日常とが同時に存在する社会というのは、なんだかまるで夢の国のよう。東京ディズニーランド以上に日本では信じ難いファンタジアがそこかしこに溢れているんです。
夢を追う甘さ
夢を追う事は確かに素晴らしい。夢に向かって真摯に努力している姿は眩しい。自分に与えられた潜在能力を極限まで発揮して、その個性を変態させて自己実現していく課程はもうほとんど芸術領域といっていいほどの美しさです。
それと同時にその本人の周囲には甘美な時間が発生します。努力に疲れた体を癒してくれるのは夢という砂糖水。これは力にもなるし毒にもなる。努力していく気持ち良さは、夢を見ることの気持ちよさからきている。大小の差はあれ、夢をみることが出来なくなると、人は自然と努力をしなくなる。これは正しい反応なのかもしれません。努力に疲れた心を癒す砂糖の効果が切れてしまったということなのだから。
しかし、それでも夢に向かって努力をし続ける人たちがいます。砂糖の効果が切れてしまったのではなく、夢という砂糖水の中毒になってしまった人たちです。この人たちは引き返す事をしない。いや、もう引き返せないのかもしれない。
人類の可能性は無限かもしれないけれど、個人の可能性は有限です。短い時間の中で精一杯生きていくには、夢を抱きながら現実に適応していくしかない。多くの人たちにとって白砂糖のお城を持つことではなく、角砂糖一つ胸に握りしめて自分の人生とよく話し合ってみることが大切だと私は考えます。
私が見ていた夢は20代前半に驚く早さで全て叶いました。振り返ってみれば、不完全な部分もたくさんあったけれどとても贅沢な時期だったと思います。そんな20代前半にくらべて、今はしょぼくれてるからこんな記事を書いているんだと突っ込みが入るかもしれません。今は満員電車に乗って通勤している会社員ですから、その意見は間違っていません。20代前半の自分から見たら、結局くすんだ大人になってしまったんだなと言われるかもしれません。でも、ビターな部分も含めて人生ですから。
この記事で言いたいことは、努力を支えているのは甘い夢見る時間であるということ。まだ実現していない架空の未来が原動力になっていること。それが時として現在の自分にとって危険なものであることを伝えたかっただけです。実現していない未来から先取りしてモチベーションという燃料を提供してもらっているので、それらが実現しなかった時の離脱症状は考えるだけでも恐ろしいものです。
その症状と向き合う覚悟のある人だけが、夢を追い続けるべきでしょう。もう夢を追い続けることが出来ないと判断したら、砂糖水の湯船からすぐに上がってください。そして、熱々のブラックコーヒーでも飲んでもう一度自分が何をすべきかよく考え直してみてください。あなたの時間が有限である以上、可能性は無限ではありません。
夢から引き返す事が出来ずに、人生が破綻してしまった人を私は何人か知っています。諦めの悪い人だけが夢を叶えた?最後まで努力を惜しまなかった人が夢を実現させた?そんなことはありません。サイレントマジョリティーという言葉は、夢破れた人たちを現す言葉と言ったら怒られるでしょうか。でも実際そうなんです。それが人生です。夢に寄り添う人生は間違っていません。でも夢に食べられてしまう人生は間違っています。
動物園のゾウは本当にゾウかという謎掛けが好きな教師が、休憩時間になるといつもコーヒーを飲んでいました。そして、そこに一粒の角砂糖を入れながら「罪をひとつ」と言っていたのを久しぶりに思い出しました。今日はよく晴れています。