宗教色を消した「宗教行為」が広がってきたように思います。
例えば、日本国内で急激に広がったヨガ教室。
ジョブズが実践したことで宗教臭さがぐっと緩和された瞑想。
断捨離ブームの延長線上に現れたミニマリストという人種。
これ、どれも宗教が起源です。
だけど、最近のこういう動きに神様とか仏さまとかほとんど出てこない。
そういう「すがるものがないのが最大の特徴」ともいえるんじゃないでしょうか。
ぶくぶくと肥大化した自己を支えるために、アンチエイジングや健康効果、ストレス軽減、能力アップを謳うものが多い。
こういったものを僕はソフト宗教と命名します。
このソフト宗教ブームって大丈夫なのかなぁって思ってるんです。
ソフト宗教の目指すところは、自分自身のポテンシャルを極限まで引き出して、自分自身を神様とすることを無意識に目指しているんじゃないかという気になったりもするんです。考えすぎですかね。
まず、ヨガ、瞑想、断捨離はどれも宗教の一部であって、科学的な説明や心理作用というのは宗教アレルギー向けの人を安心させるための手段であって、後付けの講釈に過ぎない。
一部だけとり出して生活に取り入れるのは悪いことじゃないけど、それが特定の宗教発祥だということはいつも念頭に置いておくべきです。
宗教臭い!という人ほど、宗教に深くハマる
こういう人を何人も見てきました。若いうちは、自分が世界の中心だと思い込んでいるけれど、年を重ねるにつれてこういった考え方は減退する。人生の舵取りは思った以上に難しいもの。
失業、依存症、病気、事故、死別。自分一人では解決出来ない問題が増えてくるにつれて、人はすがるものを渇望するようになります。原始宗教なんかはまさにこのあたりが起源であったことは容易に想像できますね。
宗教を強く毛嫌いしていたり、小馬鹿にしていたような人はカルト宗教にどっぷりとハマってしまう。このカルト宗教の在り方が最近流行りのソフト宗教に似てるような気がするんですよね。
お一人様で完結する人生
人間だけで解決できることが増えてきたことで、すがるものの数も減ってきました。神仏にすがらず、地域のコミュニティーにすがらず、家族にすがらず、最小の単位である「お一人様」で人生を完結可能な現代。もちろん、一人で人生を完結出来るというのは錯覚。
このお一人様というのが思いの外厄介。お一人様になると、完全に閉鎖された空間に閉じ込められます。
主たる情報源のインターネットは自分の好みの情報を返す鏡なので、当人の心の偏りというのは加速化する一方。
外の世界との断絶は、非力な自分と近距離で向かい合うことを意味します。
そういった息苦しさの脱出口としてソフト宗教が台頭してきていると考えています。
ソフト宗教というのは人間の高慢さが産み出したブームのひとつ。
流行っているのはどれも自分自身の益を追求するものばかり。現世利益ですね。
利益を追求することは決して悪いことではないけれど、これだけだとどうも片手落ちのような気がしてならない。
ソフト宗教で得た余剰分の精神性や若さを外の世界にどう向けていくのかが問われているような気がします。
用語解説
ヨガ
ヨーガは、古代インドに発祥した宗教的行法。心身を鍛錬によって制御し、精神を統一して古代インドの人生究極の目標である輪廻転生からの解脱に至ろうとするもの。ヨガとも表記される。漢訳は瑜伽(ゆが)。北米などで流行しているフィットネス的なヨーガは宗教色を排した身体的なエクササイズとして行われているが、本来のヨーガはインドの諸宗教と深く結びついており、バラモン教、ヒンドゥー教、仏教、ジャイナ教の修行法でもあった。
瞑想
瞑想とは、心を静めて神に祈ったり、何かに心を集中させること、心を静めて無心になること、目を閉じて深く静かに思いをめぐらすことである。この呼称は、単に心身の静寂を取り戻すために行うような比較的日常的なものから、絶対者(神)をありありと体感したり、究極の智慧を得るようなものまで、広い範囲に用いられる。
瞑想の具体的効用として、集中力の向上、気分の改善等の日常的な事柄から、瞑想以外では到達不可能な深い自己洞察や対象認知、智慧の発現、さらには悟り・解脱の完成まで広く知られる。宗教や宗派、あるいは瞑想道場により、瞑想対象や技術が異なる。
仏教における瞑想法では、人間の心が多層的な構造を持っていることを踏まえ意識の深層段階へと到達することを目的とした手法が組み立てられる場合がある。
ミニマリスト
ミニマリストの起源を辿っていくと、ジャイナ教に行き着く。
ジャイナ教は、マハーヴィーラ(ヴァルダマーナ、前6世紀-前5世紀)を祖師と仰ぎ、特にアヒンサー(不害)の禁戒を厳守するなどその徹底した苦行・禁欲主義をもって知られるインドの宗教。修行生活に関する規定は多くあるが、基本は出家者のための五つの大禁戒(マハーヴラタ、mahāvrata)、(1)生きものを傷つけないこと(アヒンサー)、(2)虚偽のことばを口にしないこと、(3)他人のものを取らないこと、(4)性的行為をいっさい行わないこと、(5)何ものも所有しないこと(無所有)である。在家者は同項目の五つの小禁戒(アヌヴラタ、aṇuvrata)を守る。他宗教と比べて特徴的なのは(5)の無所有(アパリグラハ、aparigraha)であり、とくに裸行派の伝統に強く生きている。