啓発本はインスタントラーメン

はじめに。啓発本もインスタントラーメンもすごく好き。
だから、上手く付き合っていきたいと思う。
そもそもこの2つってよく似ている。

啓発本っていうのは
・すぐに手に入る
・たくさん積まれている
・シンプルな言葉で書かれている
・すぐに満足感を得られる
・後に残るものが少ない
・個人体験が脚色されていることもしばしば。
・完全にやる気を無くしている時に買う

インスタントラーメンっていうのは
・すぐに手に入る
・たくさん積まれている
・シンプルな調理法
・すぐに満腹感を得られる
・さすがに健康的とは言えない
・余計なものが入っていることもしばしば。
・完全に料理する気を無くしている時に買う。

どちらにも、即効性があるかもしれなけれど持続性はないと思う
(健康的な意味でもね)。

あと、啓発本は立ち読みに限る。分厚い割に、文字サイズが大きくすぐに読めてしまうから。豪華なのは装丁だけ。最近の大型書店では丁寧に椅子まで用意してくれる所が多いので、時間を掛けて要不要を判断したらいいと思う。もちろん、本当に必要なら喜んで買う。

いつもあんなに平積みされているんだから、売れているんでしょう、きっと。

啓発本って恥ずかしいという感覚

例えば、自分の本棚に啓発本があることが恥ずかしいっていう人、意外と多いような気がする。この恥ずかしさってどこから来るんだろう?
「楽をして自分を変えたい」っていうことじゃないかな。スイッチひとつで変身したいっていうのと言い換えてもいいかもしれない。

本の中には何か他人が知らないような秘密が書かれていて、その魔法を使って自分を楽に変えたいという気持ちが見え隠れしている気がしてならない。

「血の滲むような努力の話もあるじゃないか」と言われるかもしれないけれど、そこは問題じゃない。意志を行使した結果として、継続した努力が生まれている。この努力の源泉となる強靭な意志力を起動させるためのスイッチがページのどこに埋め込まれているような淡い期待を寄せながら、読み進めてはいないだろうか?私もそういう気持ちで読んでいたと思う。だからこそ、啓発本が本棚にあるのが恥ずかしく感じことがある。

啓発本は砂糖水。読み過ぎは厳禁。

著者の個人体験が特に色濃く出ている啓発本。啓発本を読み漁る人も増えてきたようだけど、こういう姿を目の当たりにすると、砂糖水を飲んで喉が乾くと言っている人によく似ている。啓発本はどろどろの砂糖水と同じ。その時は乾きが癒えるけど、読むほどに強い乾きが襲ってくる。この類いの本が売れてる要因の一つかもしれない。

特定の啓発本をきっかけに人生が変わった人を私は知らない。自身の交友関係の狭さかもしれない。ただ、読み漁った結果、自己嫌悪に陥った人なら何人か知っているけど・・・。その日を生きる力になるかもしれないが、人生に変革をもたらす力は啓発本に期待出来ない。

シグナルとしての役割

啓発本はシグナルなんだと思う。これを読みたいと強く思うようになったら、自分の心がひどく弱っている時だと自覚した方がいい。とりあえず、数日の気力を得るために購入する必要があるとちゃんと認めた上で、レジにその本を持って行くべきだと思う。

個人の成功を追体験することは決して悪い事じゃないけど、そこに書かれているのはまるで違う人生を送った超人の話。強引に自分自身に適用しようとすると必ず歪みをもたらす。「恥ずかしく感じる」っているのは、この歪みに対して心がちゃんと反応しているんじゃないかなぁなんて思う。

冒頭に、インスタントラーメンや啓発本がすごく好きだといったのは、即効性のある薬としての役割と、心がとっても疲れてますよっていうシグナルの役割を果たしてくれるからだ。

一般的に勝ち組と呼ばれる少数の人たちが大きなラッパを持つ時代。
その音色にいちいち付き合う必要はないと私は思う。

心の強度を上げたければ、乱読せずに良書と呼ばれている文学作品を繰り返し読む事を強くおすすめしたい。

チーズよりも大切なものはきっとそこにある(笑)

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