テラリウムの歴史 プラントハンターとウォードの箱

テラリウムの歴史 プラントハンターとウォードの箱

プラントハンターの存在

絶大な財力を持つ北西ヨーロッパ貴族たちが、イタリアやスペインからオレンジやレモン、さくらんぼ、オレンジなどを運ばせたことがプラントハンティングの起源だと言われています。

そして、大航海時代を経て19世紀に入るとアジアやアフリカや中南米で珍しい植物を求めて旅だった人をプラントハンター(植物ハンター)と呼ぶようになりました。

貴族たちの絶大な資金力を背景に宝飾品と同じような感覚で世界中の珍しい植物を手に入れることに躍起になります。

ヴィクトリア女王時代のイギリスを中心にヨーロッパに持ち込まれた植物は1万〜10万種と言われています。

現在、プラントハンターという職業はありません。ただし、独自に活動されている方では西畠清順氏が有名です。

彼は、世界中を飛び回り、年間240トン以上の植物を仕入れる現役のプラントハンターです。興味のある方はWebサイトを覗いてみてください。

ウォードの箱

ウォードの箱
Wikipediaより

テラリウムとは、そもそも植物を保存したりする透明の容器を意味します。

テラリウムの起源を調べていくと、上述したプラントハンターたちが本国に植物を持ち帰るために必要な「ある箱」にたどり着きます。

これが通称、「ウォードの箱」と呼ばれるものです。大航海時代、僻地から植物をヨーロッパへ枯らすことなく持ち帰ることは困難を極めました。

1830年代、イギリスの医師で植物学者でもあったナサニエル・バグショー・ウォード(1791-1868)が、ある現象を発見します。

木製の箱に湿らせた土を入れ、その上をガラス容器で覆い数ヶ月間放置したところ、シダや雑草が自然と発芽。

蒸散と蒸発、光の効果で循環したため、一つの環世界が瓶の中で出来上がったのです。

この植物学上の大発見によって、植物輸送の運搬量は90%以上増加したと言われ、中国から2万本の茶の苗木を輸送することに成功したという記録が残っています。

1960年代までウォードの箱は世界中を航海しました。

現在ではウォードの箱は進化し、ラテン語で「地」を意味する「テラ」とアクアリウムの「水槽」からリウムをとって、テラリウムと呼称されるようになり、ガラス瓶の中で循環する命をプラントハンターではない私たちでも楽しめるようになりました。
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