最近になって、突然売れ出したと言われている筒井康隆の「旅のラゴス」。
ナウシカが好きな方ならすぐにハマるでしょう。
私も読んでみたいっ!と思い立ちAmazonでの注文を待てずにそのまま本屋へ直行しました。
短気ですね。。。
最初の数ページを呼んで一気に引き込まれれば、ラゴスとの相性はバッチリだと思いますよ。
あらすじ
北から南へ、そして南から北へ。突然高度な文明を失った代償として、人びとが超能力を獲得しだした「この世界」で、ひたすら旅を続けるラゴス。集団転移、壁抜けなどの体験を繰り返し、二度も奴隷の身に落とされながら、生涯をかけて旅をするラゴスの目的は何か?異空間と異時間がクロスする不思議な世界に、人間の一生と文明の消長をかっちりと構築した爽快な連作長編。
薄い本にぎっしり詰まった長編旅物語!
ジャンルは「SF」+「旅」物語と聞いていましたので、どんなに分厚い本かと思っていましたが、本屋にいっていみるととても薄い本なので驚きました。
小説の類でもかなり薄いんじゃないかな。上下巻あるのかなと思いきや、旅のラゴスはこの1冊だけ。
本があまりにも薄いので、これはもしかして単なるブーム売れているだけ?と勘ぐってしまいました。
旅のラゴスの文字数はざっくり見積もって15万字程度。
例えば、ガルシアマルケスの100年の孤独なら、倍以上の36万字くらい。SFで有名な、デューンの砂の惑星なら上中下の3冊が出ているし、指輪物語なんかは全部で9巻もある(笑)
「SF」と「旅」をテーマにしているのであれば、普通は長編大作!みたな感じになると思いませんか?
短い物語でありながらも、主人公ラゴスの半生がしっかりと描かれています。どうしてそれを描き切れたのか?
特徴としては、ほとんどのお話がちゃんと完結しないのです。
その場で完結しないからこそ、旅物語として妙にリアリティのある物語として読み手に伝わってきます。
RPGのゲームとかだと、一つ一つのクエストをクリアして旅を進めますよね。
でも、現実世界ではそういう旅というものはありません。
全部が尻切れトンボです。
実際の旅でも、旅人というのは道中での物語の完結を見ることができないのです。
もう、この手法はすごいなぁと思いました。
このリアリティのある描写手法のため、小説自体は短いのに、読み手は長い旅をしてきたような錯覚に陥るのです。
素朴な超能力がいい味出してる
X-MENやアベンジャーズのようなアメコミで描写される超人的な能力というのは出てきません。
目から光線も出ないし、自在に空を飛ぶこともできません。
やっと1枚の壁を抜けることが出来たり、ほんの少しだけ浮いたりする程度。
これが面白いんです。
そういう素朴な能力が、物語を破綻させずにリアリティを持たせることができる。
スプーン曲げと同じで、精神を集中すれば自分も出来るかも?なんて思ったりしませんか。
何故再び売れ出したのか?
1986年に出版。ネットを中心に再び注目を集め、1年あまりで10万部の大増刷をされ大ヒットしているそうです。
不思議ですよね。
私たちの感性に何か変化があったのでしょうか。
私たちは今、「見出し社会」に生きています。
ネットを通して多くの人が、簡潔な「見出し」を作ることに多くの人が熱中するようになったと思いませんか。
まずネットがそうです。
例えば、ブログのタイトルの中にどれだけ上手くキーワードを入れ込めるかに腐心しているブロガーは多いはずです。
次に思いついたのは、最近活躍しているミュージシャンたち。
「世界の終わり」や「ゲスの極み乙女」、「水曜日のカンパネラ」など、時代を担う感性は「見出し」へと移っているような気がします。
このひとつの傾向は、現代人の情報処理能力の限界を象徴しているように思います。
現代人が中身を丁寧に理解しようとする時代は終わってしまったのかもしれません。
看板を見るだけで、全てを伝えてくれるものを現代人は欲しています。
それほど時間がないのです。
不思議の国のアリスに出てくる兎になってしまった私たち。
兎には、こういうお話が心を癒してくれるのです。
文章は簡潔に書かれていて、淡々進行していきます。
しかし、個々のお話はしっかりと完結せず、どこか尻切れトンボ。
さっぱりとしていながら、どこまでも完結しない話。
読み進めるほどに、不思議な空白地帯が心の中でどんどん大きくなっていきます。
それが、時間に首を絞められ、見出し社会に生きる兎たちには癒しになります。
ラゴスと一緒に旅をすることで、生まれる空白に身を委ねてみるのもいいかもしれません。
人生は簡潔に完結しないのです。