先日、実家で飼っていた犬が死んだとの連絡が来た。
我が家のミニチュアダックスは14年間生きた。
母は動物を飼うのはこれで最後だろうと言っていた。
今回の経験を通して思ったことは、
動物を飼う行為は、自分の心をその動物に分けることなんじゃないかと思うようになった。
だから、飼っていた動物が死ぬ時に自分の心の一部も死ぬ。
ペットロス。
知能が高い動物が亡くなった時ほど飼い主へのダメージは大きい。
犬や猫のような動物は、与えた名前を覚えるし、飼い主の愛情を反射しやすい傾向にあるから、強い感情移入が出来る。
人の心を受け取る器があると言ってもいいかもしれない。
動物に自分の心を分けているという言葉に違和感を覚える人もいるだろう。
私は自分のこころを預けてなんていない、動物から直に愛情をもらっているんだという反論はあるかもしれない。
けれども、そもそも動物側ではあなたに飼って欲しいなんて一言も言ってない。
動物の種類によっては愛玩動物になるものあれば、食肉になるものある。
そんなことを考えているうちに『生物から見た世界』という本のことを思い出しました。
本書ににはUmwelt(環境世界)というドイツ語が何度も出てきます。
私の好きなドイツ語のひとつ。
Umwelt=自分が作り上げた環境という意味で、日本語では「環世界」と訳されています。
単に環境と言ってしまえば、英語ではenvironmentだし、ドイツ語でもUmgebungというのがあります。
けれども、このUmweltというのは単なる環境という意味にとどまらず、それぞれが主観的に持つ世界を指す言葉なんです。
ざっくり言うと、あなただけの世界観。それがUmwelt(環世界)。
多くの世界観が交錯するこの世の中で、動物から見た世界観(Umwelt)を少しでも知ることで、見えてるものもあるんじゃないかとふと思ったりしました。
例えば、本書ではマダ二から見る世界とはどういうものかを説明することから始まります。
マダ二をペットとして飼おうという人はいないかもしれませんが、Umwelt(環世界)を知る上で、まずはわかりやすい知覚世界と作用世界から読み解くことは最適です。
動物たちの知覚世界と作用世界がこの地球を構成している一つの重要な要素であると気づく時、自分の心を預ける動物たちの環世界を知っておくというのも大切なことではないかと思いました。