やりたい事がとにかく多過ぎる。
情報が溢れていて選択肢がほぼ無限のように感じる今日この頃。
私自身も英語、Web制作、読書、チェロ、さらに勉強と呼べるもの以外にもブログ書いたり、落書きしたりと24時間中生命維持に必要な以外はいつもなんかしらやっています。
さて、やりたい事が多い人はどんな傾向にあるんだろうか。
- 非効率
- 考えがまとまっていない
- 時間の無駄遣い
- 欲張り
- 出来るわけない
- 自分に酔っている
そうです。全部当たってます(笑)
じゃあ、やりたい事が多過ぎると感じる人が取る手段ってどんなものがあるんだろう?
リスト化して優先順位を決めるなんて
やりたいことをリスト化して、優先順位を決めて、本当にやりたいことを見つけるという考え方が一般的みたいですね。
実にわかりやすい。
単純明快。
でもね、このやり方のプロセスには賛成出来ないんです。
何故かって?
やりたい事っていうのは感情のトキメキをその発露としています。リスト化する行為というのは感情ではなくて、思考形式に乗っ取って、そこに境界線を引くことです。
ちょっと試してみればわかりますけど、リスト化する行為が有効なのはビジネスシーンや受験合格、資格取得などのわかりやすいゴールがあることが前提です。具体的に言うと、読書やチェロはこれに当てはまらないですよね。
さらに言うと、リスト化するという行為は、取れたてのみずみずしい柿をわざわざ天日干しにして、乾涸びた干し柿してから、優先順位を決めるという行為です。
この方法を私が使うときはもっぱら仕事の時だけです。
やりたい事はリスト化する必要がない
本当にですよ、本当にやりたくて仕方がないことっていうのは、わざわざリスト化なんてする必要ありません。
やりたい事っていうのはずっと心のスペースの一部を占有し続けるはずですから。あとは実行されるのを今か今かと待っているのがソレです。
感情のトキメキを冷たい思考に渡して判断を仰ぐなんてやらせたくありません。
思考に活躍してもらいたいのは判決を下す側ではなくて、いかにそれを実現するかを考えてもらうことです。それが彼らの正しい使い方なんじゃないかと。マインドマップとか良さそうですよね!
やめることをリスト化するべき
本当にやりたい事、その感情を試してみる。同時に何かを実行するというのは非効率な事です。
しかし、それは日常行っている普段の行為を顧みないで、何かを始めようとした時に限られる言葉。何かを組み入れる時、実は何かを捨てなくてはいけません。意識しなくても、実際にそれは日常的によく行われていることです。
やりたいことの大半は少しサイズが大きいものですよね。
つまり、それと等価と感じているものをあなたは支払わなければいけません。ネットをやる時間だったり、ゲームをする時間だったり、毎晩飲みにいく行為だったり、お菓子を大人買いしたり、二度寝する権利だったりと。
ここで登場するのが初めて登場するのがリストです。
そう、私たちは感情のトキメキを現実のものとするために、思考形式を使います。
やりたい事を実現するために、やめるべきことをリスト化するのです。途中で飽き飽きしてやりたい事の返品を申し出た場合でも、時間は返金されません。買ったときと同じ値段で帰ってくるものなんてありません。買った物を育てること。やりたいことをやっていることへと育てる、ただそれだけです。
実際にやめたこと
私は 英語、Web制作、読書、チェロ のこれらを実現する為に、私がやめたことは何か?
- テレビを捨てた事
- お酒は付き合い程度
- 残業を減らす涙ぐましい努力
時間は有限だなんて言う前に、自分の時間を食い潰している見えない敵を見つけるべきです。
やりたい事が多いなら、全部やったらいいと思います。ただし、それに見合う時間の確保をするとなれば、相応分の支払いを求められます。それを支払うことが出来ないのであれば、あなたは自分のやりたい事からすっかり追い出されてしまうでしょう。
誰にも負けない強い感情の炎だけが、自分のやりたい事に対して支払うべき黄金を永遠に錬成出来るのです。これを意志と呼ぶんでしょう、きっと。