私はSFが大好き。
小説で言えば、星を継ぐ者やアンドロイドは電気羊の夢を見るか、砂の惑星。
映画なら、ガタカ、インターステラー、月に囚われた男、2001年宇宙の旅、アナザープラネット、ゼログラビティ、キンザザなどなど。
どれも美しく骨太でSFの名作として語り継がれている作品ばかり。
ただ、これら未来を描く作品群が触れないテーマがあります。それは、性に関する人類の未来について。デリケートなテーマでもあるため、映像とし取り扱うことに難しいのでしょう。
今回ご紹介する歌うクジラでは、この非常にデリケートな性というテーマを作品の柱としています。
最近のSF作品は、滅菌されたクリーンルームのような作品が多くて、人間の克服し難い欲求について触れていないように感じます。
科学技術が発達すること、欲望も抑止出来るのでしょうか。欲望を持つということが、人の未来と深い関わりがあるはずなのに、何かこうさっぱりとした都合のいい人間像ばかりがスクリーンに登場してくる。
私がそういったSF作品を知らないだけかもしれませんが、やっぱり数で言うとかなり少ない。性を取り扱うという点では、AIの未来を取り扱ったエクスマキナはかなり近いものがあるかも。
歌うクジラは『SF×性愛』という、かなりハードな内容。でも、人類の未来という点から考えてこの組み合わせこそ、最高にSFチックなものなんですよね。
ざっくりあらすじ
時は西暦2122年。2020年に発見された不老不死遺伝子SW遺伝子によって、人類に不老不死がもたらされます。
この恩恵に預かった上流階級の人類がもたらしたディストピアな社会の中に主人公は生を受ける。
主人公の設定が面白く、日本語の崩壊した世界で重宝される敬語使いとしてピンチをくぐり抜けていきます。また、終盤の上流階級の人間たちが作り上げた世界の描写は圧巻です。後半の煉獄ジェットコースターのような、ディストピアが真に迫るものがありますね。
読後の感想
設定に技巧をこらして狂気を演出するドグラ・マグラや砂の女などと比して、これは内容そのものが狂気に満ちています。
しかも、これは私たちが普段目を逸らしてしまう社会の局所の闇というか、くぼみというかそういうものです。
これはこれで、ディープな読書体験が味わえます。
作中では、人類には2つの欠点があると作中では述べています。
1つ目は死ぬまで未熟であり続けること。例えばビーバーなんかは誰にも教わらなくても本能的に巣を作りますが、人間にはそういったものがまるでありません。人間は、本能によって完結しない未熟なままの存在ということ。
2つ目は、生殖可能な状態にまで成長すると、常に発情していること。動物には発情期がありますが、人間は常に性行出来る状態にあります。また、人間の性器の大きさは、動物の体格に比してもやはり大きいといわれています。これは、繁殖する以外の目的でも頻繁に使用しているためではないかと考えられています。
理解を深めるために
1.ボノボについて
この作品を理解する上で、ボノボについての知識を深めておくといいかもしれません。
ボノボは、もっとも人間に近いと言われている霊長類です。
生息地域はアフリカ大陸のコンゴ民主共和国。低地の熱帯雨林に生息。
体長80センチほど。体型はひょろ長。チンパンジーに比べて上半身が小さく、それに比例して脳容量も小さい。
食性は雑食。植物の葉、芽、蜂蜜、昆虫、ミミズ、小型爬虫類、小型哺乳類など。
基本的には樹上棲。チンパンジーよりも直立二足歩行が得意。寿命は40年程度。
人間だけが行うと考えられていた正常位での性行動をボノボも行うことが確認されている。また、個体間で緊張が高まると擬似的な交尾行動、オス同士で尻をつけあう、メス同士で性皮をこすりつけあうなどの行動により緊張をほぐし闘争を回避する。そのため、平和的な動物であると考えられることが多い。
2.助詞について
主人公は未来の日本で数少ない敬語使いです。他の日本人の日本語はめちゃくちゃになってしまっています。特に顕著なのが、「助詞」です。
日本語には助詞というものがあります。
代表的な助詞と言えば「てにをは」。「都内【で】ただ一つの」「山【に】行く」や、「犬【を】飼う」「本当【は】私じゃない」など。面白いのは、違う助詞なのに、使い分けが曖昧なものもあります。例えば、「山【に】行く」と「山【へ】行く」や「日本【で】ただ一つの」と「日本【に】ただ一つの」の「耳【の】悪い人」や「【耳】が悪い人」。
普段、仕事をしていてもメールの内容に助詞の使い方の誤りを見つけることがあります。
それくらい、助詞は繊細な日本語であり、心のニュアンスを伝えてくれるやわらかな品詞であると思えます。