写真は自宅でこしらえたものです。
もともと、お昼ご飯はおにぎり一個とスープジャーに入った味噌汁でしたので、この本のタイトルを手に取った時、何故か胸が熱くなりました。
外食はつい食べ過ぎてしまうし、お弁当は作るのが手間。
一年程前から、おにぎり+スープジャー味噌汁というスタイルに落ち着きました。
現代の食事はファッションと言わんばかりに、見た目がド派手なものや、栄養学の観点から新しく開発されたダイエット食品、ネットに溢れる大量のレシピがぎゅうぎゅうに並んでいます。
また、著名な料理家が監修しました!と触れ込みの加工食品の材料を見てみると聞いたことのないようなものが入っていたりします。
こういったものの全てを否定するつもりはありません。私も時折、二郎ラーメン食べますから(笑)
ただ、日常生活の中心に据えるには、粗野な食べ物、食べ方だと思うのです。
そういう自覚は持っておいた方がいいとも思うのです。
多くの料理家たちもこの傾向に右習えで、料理本を次々と出版しています。
本屋の料理コーナーを覗いてみてください。きっとぐったりさせられはず。
わたしが、今回この本を取り上げさせて頂いたのは、この本の中に出てくる料理に目玉焼きをぶっ込んだ味噌汁の写真がどーんと掲載されていたからです。
こんな大胆なことをするのは誰だろうと思って、本を取ると敬愛する土井善晴先生ではないですか。
お世辞にも美しい写真とは言えません。
けれども、気取らない、本当に日常の食卓にあるようなそのままのお味噌汁。
この一点おいて、「食は民藝」と考えられておられる土井善晴先生の仰りたいことが、伝わってきました。
「一汁一菜のビッグウェーブ」絶対来ますよ。
西欧はパワーブレックファースト
私が、あるホテルに泊まった時のこと。
朝、朝食を取りにホテルのレストランに入り、席についてメニューを開きました。
まず飛び込んで来たのが、パワーブレックファーストの文字。
内容は、トーストとゆで卵やスクランブルエッグ、ベーコンにサラダ、フルーツ盛り合わせなどで、メニュー内容に特段驚きはしませんでしたが、この言葉の使い方に驚いたのです。
コーンフレークのCMのままだなと。
元気のない子供がコーンフレークを食べてムキムキになるあの感じを西欧は地で行ってるんだ!とね。
西欧的な考えでは、食事は栄養を補給するものという考えが支配的であるというのを聞いたことがありましたが、パワーアップというのは、これを一言で言い表しているメニュー名だなぁと感じました。
こういった視点から日本食を比較してみると大きな隔りがあることがくっきりしてきます。
日本の食文化について考え直すことは、懐古主義でもなんでもありません。
本書では現代の日本人として文化的且つ機能的な食事というのが何なのかという視点から、一汁一菜という提案に至っています。
ですから、多少見た目が悪くても、味噌汁に目玉焼きをぶっ込んでもいいのです。
飽きない味
そういえば、海外生活で自炊をする羽目になったとき、こんな事がありました。
大家さんのフランス人から言われたのが、魚の出汁と醤油の匂いをあまり外に出さないようにとのお達し。
私たち日本人としては当たり前の懐かしい匂いでも、文化が違えば嫌悪すらされるのです。
しかし、異文化では嫌悪されるものでも、米と味噌汁は日本人のスタンダード。
日常生活と心の要。
飽きない味を持っているというのはとてつもないことなんですね。
「ハレ」と「ケ」という考え方
本書に「ハレ」と「ケ」という言葉が出てきます。
恥ずかしながら、私はこの「ハレ」と「ケ」という考え方を知りませんでした。
この考え方は、柳田國男が定義したものでウィキペディアにはこんな風に書かれています。
本書を読み進める上で助けになると思いますので引用させて頂きます。
「ハレとケ」とは、柳田國男によって見出された、時間論をともなう日本人の伝統的な世界観のひとつ。
民俗学や文化人類学において「ハレとケ」という場合、ハレ(晴れ、霽れ)は儀礼や祭、年中行事などの「非日常」、ケ(褻)は普段の生活である「日常」を表している。
現代人にはこの境界が曖昧になりつつあるかもしれません。
器を選ぶ
写真は、私が一番気に入っているお茶碗です。
貝の埋め込まれた跡が美しく残っています。
貝自体は釜で焼くときに溶けて無くなってしまうそうです。
我が家では作家さんが制作された器を用いて、ご飯をいただきます。
素敵な器に料理が盛り付けられていると、不思議と気持ちも高揚します。
器とは「命への謝意」ではないかと思うのです。
本書では、土器の話が出てきますが、そのデザインを見ると普段使いの器というよりは、やはりある種の宗教性を帯びたもののように感じます。
料理とは、もともとは命であったもの頂くわけですから、それを盛るものは謝意を現したものでと当時の人々は本能的に考えていたのではとふと思ったのでした。
ですから、プラスチックのトレーに乗せられた料理というのをどこかチープに感じてしまうのは、命への謝意を表す器が欠けていると感じるからなのかもしれませんね。
これは、「いただきます」の精神に通じるものがあります。
私の短い海外生活の中で一番関心された日本語は、「いただきます( take your lives.)」でした。
食育というのは、子供向けの教育用語ではなくて、ファショッンとしての食に浸りきっている大人たちこそ学ぶべきだと思うのです。
一汁一菜にギュッと詰まった日本のこころ。
是非、本書を手に取ってみてください。
小難しく考えても、せっかくの料理が冷めてしまいますから、この辺にしておきます。
ではでは。