ポジティブな啓発本を読み漁って、半ば自分が人生の成功者であることに錯覚し、すっかり酩酊してしまったあなた。
数ヶ月後、その酔いが冷めてしまった時、読んでもらいたい本ですね。
この本の全てが正しいとは思いませんが、アランの幸福論のようなスイーツを食べた後には、塩辛いものが欲しくなるもの。
それが、中島義道氏の不幸論かもしれません。
冒頭にジョン・スチュアート・ミルの言葉を引用して、幸福を追い求める人の愚かさを説きます。
自分自身の幸福論ではない何かほかの目的に精神を集中させるもののみが幸福なのだ。と私は考えた。
例えば、他人の幸福、人類の向上、あるいは何かの芸術でも研究でも、それを手段としてではなくそれ自体を理想の目的として取り上げるのだ。
このように何かほかのものを目標としているうちに、副産物的に幸福が得られるのだ。
続いて、パスカルの遺した言葉に中島義道氏の考えが集約されているという。
気を紛らわすこと。人間は、死と不幸と無知を癒すことが出来なかったので、幸福になるためにそれらのことを考えないことにした。
惨めさ。われわれの惨めなことを慰めてくれるただ一つのものは、気を紛らわすことである。しかしこれこそ、われわれの惨めさの最大のものである。
また、上記の考えがさらに極まると、人間はだれも幸福になれないという事実を直視するべきだとなり、ニーチェの永劫回帰への同意を垣間見せる。
観念を弄り回すピエロの本
読むほどに悲しさが滲んできます。観念を弄り回すだけの本という点では、幸福論だろうが不幸論だろうが、その中の輪からは決して逃れ得ないのです。
毒にも薬にもならない本というのはこういう本を言うのです。
美しい言葉を語る幸福論と汚い言葉で罵る不幸論との間に絶妙なバランスを保った綱渡りのピエロが私たち凡夫の姿なのかもしれません。
共感する部分はかなり多かったと思います。内容としては至極真っ当です。
宗教の後ろ盾がなければ、現代の哲学は中島義道氏の語る内容に帰結するかもしれません。
考えを突き詰めていけば、もうそこに辿り着くしか道は内ないように思えてしまいます。
ただ、私は死が絶対的不幸だとは思いませんけど。
死がなければ今、この瞬間を意識することもないのですから。
中島先生もこのクソッタレな世の中から去れるんですから、死はあなたにとって絶対的な不幸ではなく、唯一無二の幸福だと思いませんか?
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