哲学者としてまずその名が挙がると言えば、ソクラテス。古代ギリシャを代表する哲人。
ざっくりあらすじ
さて、ソクラテスの名前は知っていても、彼がどうしてギリシャを代表する哲人となったのか、知らない人も多いと思うので、ちょっと解説。
彼がこれほど有名になったキッカケはギリシャの神様のお告げだったんです。アポロン神を祭っている神殿には巫女がいて、神のお告げを伝えてくれます。
そこへソクラテスの弟子であるカイレフォンがソクラテスについて尋ねます。
カイレフォン
「巫女さん、ソクラテスよりも賢い人っているの?」
巫女
「神様に聞いてみますね。ムムム!ん〜、それはソクラテス! 」
カイレフォン
「なぁ、ソクラテス。お前が一番賢いって」
ソクラテス
「はぁ?なわけないじゃん。ワシより賢い奴はごまんといるぞ!ちょっと探してくる」
ソクラテス
「・・・・・。弱ったな、賢そうな人物はいるが、それだけで全てを知っている気になっている。それに比べて、ワシは無知であることを自覚している(無知の知)。であるからして、ワシが一番賢い!ということじゃな。フムフム」
賢者っぽい人たち
「ソクラテスに恥をかかされた!訴えてやる!」
裁判官
「毒殺刑に処す」
ソクラテス
「ワシは国法に従う。けれども弁明はしちゃうからね?」
弟子プラトン
「先生は間違っていない。そうだ、ソクラテスの弁明書いちゃおう!」
もうちょっと詳しく
ソクラテスは賢者と呼ばれる人たちに問答を仕掛けます。
賢いとされた人たちは、ある特定の知識については造詣が深かったのですが、やはり全知全能ではありません。知らないこともあります。
ここにソクラテスは斬り込んでいきます。この問答スタイルが見世物となり、ギリシャのエンタメとして、大いなる賑わいを見せるようになります。
さて、論破される方はたまったものではありません。無知の知に勝る方法は無いからです。
敗北確実の問答を仕掛けられれば、当然恨みも買うでしょう。若者の間でもブームとなり、ソクラテスを模倣するものも出始めました。
この問答がブームになるくらいですから、当時のギリシャの知に対する姿勢というのは大変面白いですね。
愛知者=フィロソフィアがとても多かったんですね。歴史や国が違えば、考え方や生活習慣も大きく異なるもの。当時のギリシャ人たちは、善美(倫理的・道徳的な美)というのを非常に重んじていました。ソクラテスは、賢者の条件として、この善美を知っているか、ということを掲げています。
恨みを買った側から訴えられ、遂に死刑判決を下されてしまいます。毒殺刑です。こ
の裁判での様子や、死刑判決を下された後の話を弟子であるプラトンが書き表したのがソクラテスの弁明なのです。ソクラテスを有名にしたのは、弟子のプラトンの存在あってこそなんですね。
さて、ソクラテスの弁明では注目すべき点が4つあります。順に紹介していきましょう。
無知の知
デルフォイのアポロン神殿の入り口には、「汝自身を知れ」という言葉が彫られてありました。
当時の考え方として、神々の下にいる人間というのは、神の叡智に遠く及ばないちっぽけな存在であり、神々にとっては取るに足らない存在であると考えられていました。
そういう一般通念があったからこそ、ソクラテスの無知の知という発見は、賢者と呼ばれる人間の傲慢さを看破するのに熱烈な指示を得られるわけです。
今やったら、子供じみた言葉遊びに過ぎないと切り捨てる現代人も多いでしょうが、これは無神論から来る傲慢さの可能性も孕んでいると考えられないでしょうか。
死について
ここではソクラテスの死生観について言及してみようと思います。彼は、死を恐れる人々に対してこう言い放ちます。
死後の真実は誰にもわからないが、それでも死は幸福である。これには2通りの考え方が出来る。
1つ目は、死後の世界がなく虚無に帰するということであれば、それは快適な夢一つない深い眠りの夜のごときもの。
2つ目は、神話にあるように冥府に赴くのであれば、そこには真善美を持つ神々によって、私は正しく取り扱われるだろう。どちらにしても幸福である。
著作は死んだ言葉
ソクラテスは敢えて著作物を残していません。それは、読字が死んだ会話であり、硬直した沈黙は死んだ考えであるという彼の信念からでした。
だったら、暗記の方がいいよとも言ってます。読字が記憶を害するという考え方は非常に面白いです。
私たちはインターネットを駆使して何でも調べられるようになりましたが、自分の知として正しく消化する力というのは弱くなっているように感じています。ソクラテスが現代に蘇ったら、2chに最凶のレスバトラーとして君臨するかもしれませんね。
内なる声、ダイモニオン
ソクラテスには内なる声が聞こえていたとの記述があります。
一種の幻聴とされていますが、この声というのがなかなか面白くて、ソクラテスが何か過ちを犯そうとするときそれを制止または禁止するような声が聞こえてきたと言います。
作品を語る上で、多くの人が語ること避けているこの幻聴について、探求してみるもの面白いかもしれません。この内なる声の正体とはなんだったのでしょうか。
私はこのくだりを読んだ時、サン=テグジュペリの描いた星の王子様の問答や、ゲーテがもう一人の自分に出会ったという話、ジャンコクトーが自分の天使(ウルトビーズ)を見たという話を思い出しました。
哲人や芸術家などは、もしかすると、「もう一人の高潔な自我」と対話する能力があるのかもしれません。
いと賢き者は己が頭上に輝く星に進んで従う。
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