「注文の多い料理店」の一番最初には下記のような序文が収録されています。
わたしたちは、氷砂糖をほしいくらいもたないでも、きれいにすきとおった風をたべ、桃いろのうつくしい朝の日光をのむことができます。
またわたくしは、はたけや森の中で、ひどいぼろぼろのきものが、いちばんすばらしいびろうどや羅紗や、宝石いりのきものに、かわっているのをたびたび見ました。
わたくしは、そういうきれいなたべものやきものをすきです。
これらのわたくしのおはなしは、みんな林や野はらや鉄道線路やらで、虹や月あかりからもらってきたのです。
ほんとうに、かしわばやしの青い夕方を、ひとりで通りかかったり、十一月の山の風のなかに、ふるえながら立ったりしますと、もうどうしてもこんな気がしてしかたないのです。ほんとうにもう、どうしてもこんなことがあるようでしかたないということを、わたくしはそのとおり書いたまでです。
ですから、これらのなかには、あなたのためになるところもあるでしょうし、ただそれっきりのところもあるでしょうが、わたくしには、そのみわけがよくつきません。なんのことだか、わけのわからないところもあるでしょうが、そんなところは、わたくしにもまた、わけがわからないのです。
けれども、わたくしは、これらのちいさなものがたりの幾きれかが、おしまい、あなたのすきとおったほんとうのたべものになることを、どんなにねがうかわかりません。
大正十二年十二月二十日 宮沢賢治
3冊の装丁デザイン描いた画家
加山 又造(かやま またぞう、1927年9月24日 – 2004年4月6日)は、日本画家、版画家である。
1927年、京都府に西陣織の図案家の子として生まれる。京都市立美術工芸学校(現京都市立銅駝美術工芸高等学校)、東京美術学校(現東京芸術大学)を卒業。山本丘人に師事。1966年多摩美術大学教授、1988年東京芸術大学教授に就任。東京芸術大学名誉教授。日本画の伝統的な様式美を現代的な感覚で表現した。1997年文化功労者に選ばれ、2003年文化勲章を受章。
Wikipediaより
東京国立近代美術館にある「春秋波濤」(1966) は是非一度鑑賞してみたいと思ってます。
ひかりの素足
さて、収録されている物語で何ともいえない気持ちにさせられたのは、「ひかりの素足」です。作品タイトルだけで言えば、私はこの作品が一番好きです。ひかりの素足という響きを聞くとなんだか安心してしまうんですよね。
私自身、東北地方に縁がありますので賢治が描く東北の冬の中に入って行くことは、さして難しいことではありません。また、この作品は賢治自身の宗教観が色濃く出ている作品とも言われています。
あらすじ
兄弟二人が雪道で遭難する話です。雪山で遭難した二人は、ふと気付くと「うす明かりの国」を歩いています。その国の大地は小さな瑪瑙(めのう)のかけらのようなものがちらばり子供たちの足を傷つけます。周囲を見渡すと、痛ましいなりをした無数の子供たちが歩いています。大きな鉄の靴を履いた鬼たちが、子供たちに鞭を打ちます。そこへ「にょらいじゅりょうぼん第十六」という言葉が聞こえてきます。その言葉を唱えた途端、子供たち前に巨大な光のすあしが現れます。
話の筋だけ見て行くと、単純な子供向けの童話です。ただ、冒頭の山小屋での「死」を予感させる不吉な描写や、兄弟の話言葉の変化していく様などを噛み締めながら読み進めると、重苦しい何かが胸の中にずしりと残ります。生きるという事の重苦しさが物語一杯に詰め込まれているような気がしてなりません。鬼の言っていることも、光のすあしが語る言葉も、読み手にとても重くのしかかってきます。重い重いと言ってしまうと、まるで憂鬱で良くないことのようですが、私が言いたい事はそこではなくて、「あの世の重力」みたいな重みを感じるのです。
俗世とは違う重力が、因果を引寄せたり、縁を断ち切ったり、そんなことが本当にあるような気にさせてくれる、そんな物語です。