このブログはサクセスしないかもしれない

このブログはサクセスしないかもしれない

節学なんて銘打ってますが、最初に言っておきます。このブログはサクセスしないかもしれません。

ここで私が言う「サクセス」というのは、「誰かに対して説明しやすい成功のこと」です。

サクセスって言い方がミソなんですけど、受験生だったら合格というサクセスがあるし、資格勉強だけだったら、資格取得のサクセスがある。狙ったあの子を口説き落とすのも、もちろんサクセス。

じゃあ会社勤めの人にとってのサクセスって何だ?会社で認められること?転職すること?独立すること? 結婚すること? 一般的には、いい入り口から会社に入るのが「サクセス!」かもしれない。あくまでも一般的な認識としてはね。

勉強時間の記録をつけはじめてから、1000時間を突破しました。最終目標をブログ等で公言しないのは、過去の経験も踏まえ、「秘密は力」であると考えているからです。周囲に宣言すると必ずと言っていいほど途中で挫折してきたので、最終的な目標は口外しなようにしています。小さな目標などはぽつりぽつり言ってますけどね。

でも最終目標は誰かに対してなかなか説明出来ないものだったりするのでサクセスっ!じゃない。だから、このブログは一見自己啓発系のブログなんだけど、サクセスしないんです(苦笑) うーん、摩訶不思議なことを言っていますね。

もうちょっと掘り下げて説明しますね。
サクセスしたい!っていう気持ちは大事。人間なら誰だってそう。私にだってそういう気持ちはあります。実際にTOEICの勉強やITパスポートの勉強はやっているわけですから、この辺はサクセスに該当するんですよね。

ただ、サクセスは私みたいに中の下でずっとやってきた人間にとっては、枝になることはあっても、決して幹になったりはしない。どっちが良い悪いの話じゃないですよ。サクセスっていう一般的なイメージと、このブログは少し違うよという話です。

このブログは自分が「学びとして勝手に認めたもの」を一本にまとめて集約しています。管理人の名前も「縒った糸」で「Yoriito」ですから、この辺はブレてません。まぁ、三日坊主に当面の間挑み続けるのが、このブログの存在意義ですかね。

私の考える「サクセス」というのは、「誰かに対して説明しやすい成功のこと」。
これは啓発本に変換しやすいフォーマットともいえます。第三者に対して簡単に説明出来て、著者の成功を想像の中で追体験出来るんですから。どこかで書いたと思うけど、努力に人生を変える力は無いと思うんです。

ただ、努力には人生を調整する力が確かに存在します。それだけでもすごいことですよね!料理に例えるなら努力は人生のスパイスってことになるんですから。
人生を変化させるのは運命でしょう。これを説明する術を私は持っていません。

話をまとめていくと、このブログはサクセスというより努力という「人生のスパイス」について、論じ続けることがメインになるブログなのかもしれません。