SNSで復活魔法詠唱

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SNSで復活魔法詠唱

うーん、なんだろうな。電車の中で、ゲームをしている中学生くらいの男の子が「あ、死んじゃった」っていうフレーズ連発しているを聞いて、ふと思った事。(っていうか、どんだけ下手なんだよ。。。)

現実世界じゃ1人につき死は1つなんだけど、電脳世界だと何度死んだって構わない。ボタン1つのタイミングや敵の思いも寄らない攻撃にその時間を共に生きたゲームの主人公が次々と死んで行く。そう言うのは不謹慎だから、ゲームの世界では死んだじゃなくて、やられた、殺したじゃなくて、倒したにしようとする風潮もあったように記憶している。

けれども、そもそもそういう話じゃなくて、ゲームの中に「死」そのものが無いというだけの話。子供の感覚から言ったら、死の無いものに感情移入して仮想世界をよりエキサイティングに楽しんでいる。適当な言葉が見付からないので「死」という言葉を当て嵌めて口にしている。ただそれだけのこと。稚拙だけどね。

さて、これを逆手に取ると仮想世界においては、私たちは「復活出来る」ことになる。彼らが簡単に「死ぬ」というのは簡単に「復活」出来るから。
基本的にゲームでも、SNSでも主人公(アカウント)ってのは意志を込めた弾丸に過ぎない。だから、本当は死ぬとかやられたとかではなくて、何かに「止められた」という表現が適切な気がする。

さてさて、STUDYPLUSという勉強SNSにおいて、数ヶ月も「止まっている」アカウントを見掛けることがある。こういうのを見ていると非常に惜しいっ!て思うんだよなぁ。止まっているアカウントは、自分自身じゃなくて、自分の燃え尽きた意志の影であり墓そのもの。精神衛生上、そういうアカウント(墓石)はすぐに削除して、気分のノッた時に復活魔法を詠唱すればいいんだと思う。

そう、全く別アカウントでもう一度SNSにダイブする。今までとは少し違ったアプローチで勉強を進めてみたり、友達申請をしたり、もしくは勉強ログを完全に非公開にしてみたりすればいいんだと思う。アイコン画像を変えて気分を一新したらいい。IDとアイコン画像が変われば、周囲は君が誰かなんて判別出来ない。これがSNSおける復活の醍醐味だ。
少なくとも自分の場合、STUDYPLUSではプライベートなことをほとんど呟かない。呟き過ぎると、そのアカウントが自分自身だと思い込む傾向がどんどん強くなるから。当たり前だけど。例えば、現実での生活環境が大きく変わって、勉強のスタイルが変わったり、勉強時間のペースが大幅に落ちたりすると、そのスタイル変更を仮想世界のアカウントは認めてくれない。逆に現実世界の自分を非難するようになる。「やっぱりお前はダメだったんだ」と。

ちょっぴり悲しいことだけど、このYoriitoというアカウントとのつなぎ目はいつでも切り離させるように意識しながらログを記録している。このSTUDYPLUSというサービスは自分の未来への投資の場である。自分の作り出した理想のアカウントに食べられないように、また自分の一部が侵食されていると感じた時は素直に別のアカウントに乗り換えることも必要。

アカウントは単なる乗り物であって、本人自身じゃないんだから。その乗り物(アカウント)が未来への推進力を失ったのであれば、より適切な別の乗り物に乗り換えて、自分の未来への歩みを進めたらいいと思う。

まぁ、この観点からいうと現実世界とシンクロを強制されるFacebookでは復活魔法は使用禁止されているというわけになるんだけど(苦笑)








“おやゆび文鳥”

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