譲り合いという凶暴な精神が好き

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譲り合いという凶暴な精神が好き

譲り続けた人はいつか大切な場面で譲られると思っている。

だから、僕はよく譲る。

勘違いして欲しくないのは、オスカーワイルドの幸福な王子のように自己犠牲の精神が溢れているわけじゃなくて、自分の意志を強化する目的でそういう行動を選択しているだけ。

歪んでいると思われるかもしれないけど、欲しいものだけを見極めてそれを強引でも取りに行くために、必要じゃないものは譲る。

私の場合、この譲るという行為の定義がちょっと特殊かもしれない。

例えばこんな感じ。

単に席を譲るというのはもちろん、信号が点滅したら次を待つようなことも譲るということだし、不当な文句を言ってくる相手に反感だけで言い返さない心構えも譲るという定義に入ってくる。ラーメンの無料大盛を頼まないことも譲る。エスカレーターを使わず隣の階段を使うことも譲る。自分の頼んだ料理が友人から欲しいと言われれば、自分の皿から取り分けるけど、他人のお皿からはもらわない。これも譲る。だから、人だかりが出来るようなバーゲンセールとか大嫌い。

この譲るというスタイルは、同調圧力に一見従順なようで、裏でナイフを研ぐような感覚。

行為がメインで言葉は少ない。

むしろ、軽口は慎む。汚い口は、育てた意志を磨耗させるから。

日本死ねなんて言葉が流行語大賞を取ったみたいだけど、どんな理由であれ、あれは一番やっちゃいけないパターン。

あの発言が比喩とか弁解しているけど、発言すること自体がきっと気持ちよかったんだろうね。

日本死ねって言葉は、怠惰な傲慢さなんじゃないだろうか。

死ね!って言葉を発すると同時に自分の意思が死ぬことを覚えておいた方がいいかもしれない。

死は究極の終わりと心が認識するから、何かを達成したと心が錯覚すると思う。

だから気持ち良い。臨死体験に近いものがある(笑)

征服感や達成感がある不思議な言葉なんだ。相手に向けたにせよ、自分に向けたにせよ。

日本人のマナーの良さは同調圧力による影響が下地にあるんだろうけど、譲るという精神が強靭で暴力的な意志力を育む土壌にもなっているような気がしないでもない。

日本人がキレるとヤバいってのは、この譲り合いという精神構造から来てるんじゃないだろうか。

でも、これからの日本人はキレないと思う。

情報化社会が進むと、譲らない文化が醸成されつつあるような雰囲気を感じる。

譲らなくなると人は安易に従順になっていくような気がしないでもない。

小さなところで満足しすっかり安住してしまう。

そうすると、譲り合いからくるあの強靭さを永遠に失ってしまうのではと思わずにはいられない。

譲るという強烈な自己愛を意識的にやっていくと要不要の態度が自然と身に付いてくる。

ダチョウ倶楽部のどうぞどうぞっていう芸があるけど、最後に前に出る上島竜兵さんが一番美味しい思いをしてる。

一見、損をしているようで観客を笑いで満たす。ちょっと深く考えすぎだと思うけど。

それ譲るじゃなくて我慢じゃんという声が聞こえてきそうだけど、我慢は得るものがない。

自分は損しているという感覚からくる言葉。

譲るというのは、欲しいものは絶対もらうという覚悟からくるものと、自分は考えています。








“おやゆび文鳥”

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