こころの定年から諦念(ていねん)へ

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こころの定年から諦念(ていねん)へ

サラリーマンの鬱といわれる「こころの定年」。要約すると、40歳前後のサラリーマン特有の鬱状態だとか。勤め上げねばと思う半面、働く意味に悩む状態に陥ることを指すそうです。

「こころの定年」という言葉を知った時、なんだかはっとさせられました。言い得て妙です。しかし、本当に心が定年してしまった人を会社はいつまでも残しておこうとは思わないかもしれません。心の定年と聞いた時に、ふと思いついたのが同音異義の「諦念(ていねん)」です。

諦念(ていねん)って?

聞きなれない方もいるかもしれませんが、簡単に言うと諦念には2つの意味があります。

  1. 道理をさとる心。
  2. あきらめの気持ち。

デジタル大辞泉の解説より

こころが定年した後に、私たちは生きる活路を他に見い出さなければいけません。ここで一旦今の自分を諦めてみる、客観視してみる。こういう機会(チャンス)が来たのだと捉えるのが、肯定的な諦念かもしれません。

30代半ばの私もそんな時機にさしかかっているのではないかと最近思うのです。もちろん、全員がそのような状況に陥るわけではありません。

けれども、今の時代がそうさせるのです。ビルや工場の中で、高度な分業化が進めば進むほど、不思議なことに半強制的に人生とは何かということについて考えずにはいられなくなるのです。現代特有の「余白」といってもいいかもしれません。

「こころの定年」という言葉を考案した楠木さん自身もこう述べています。

会社員で働くことも、起業・独立することも、つまるところ働き方の問題に過ぎません。大切なことは自分の持ち味に合った仕事をすることです。そのためには会社と家庭、さらに第三の場所を持てれば理想的かもしれません

自分の持ち味を活かせる第三の場所。とっても重要なキーワードですよね。これは、自分自身の中へと潜り込んで宝探しをするような心持ちにならないと見つからない場所とも言えそうです。

すぐに見つかる人もいれば、時間がかかる人もいるでしょう。ですから、組織の中で自分の存在意義を見出せなくなってきているなら、重症化する前にこころの定年と向かい合ってみるのもいいかもしれません。

私も先日精神科へ行った記事「サクッとメンタルヘルス! 精神科に行ってきました」を投稿しました。これが、「こころの定年」へのサインだったのではないかなと思っています。

こころの定年という余白に備える

このブログももう6年目に突入しました。よくよく考えてみるとこの節学ブログは「こころの定年」という天変地異に備えた実験場だったのではないかなとも思うのです。

自分の考えを表明する場であったり、ブログの収益化が可能か試行錯誤してみたりと、第三の場所というにはあまりに混沌としたブログですが、5年という歳月をかけて自分が本当に大切にしていたものが見えてきたようにも思います。定期的に購読してくださっている皆さん、本当にありがとうございます。

「こころの定年」は考え抜かれた言葉だと思います。

きっと、この言葉はある日突然ポップコーンが弾けるみたいに生まれたのではなく、何度も何度も様々な葛藤や苦しみが練りこまれて時間をかけて生まれた言葉だと思うのです。

「こころの定年」に向けた準備運動として日記なり非公開のブログなりをこっそり持つことは、こころの定年への処方箋になってくれるかもしれません。
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“おやゆび文鳥”

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