コンビニとカツオ節とミニマリストによる社会運動の未来

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コンビニとカツオ節とミニマリストによる社会運動の未来

物をもたない最小限主義者、​ミニマリストという言葉もすっかり定着してきたと思います。

現在のミニマリストは、個々人での活動のみとなっているようですが、これがそう遠くない未来にひとつのうねりを生み出してくれるのではとひそかに期待しています。

私は、特段ミニマリストを自負してはいませんが、やはり周囲からはミニマリスト的な人種と言われることが多いです。

そうして自分の生活を振り返ってみると、我が家にはどこの家にでもある電子レンジとテレビがありません。

電子レンジがないということ

電子レンジがないということはどういうことでしょうか?

一番大きな生活習慣の差異は、冷凍食品を食べなくなります。

スーパーやコンビニで売られている冷凍食品を買って帰ることができません。

つまるところ、冷凍食品売り場は私の生活と無関係なのです。

その売り場で使われている電気を私は利用しません。

電子レンジを使った調理や料理の温めが出来ないんだねと憐れみの視線を向けられることも(笑)

食品を温めたければ蒸し器を使えばいいですし、電子レンジを使ってどうしても食べたいレシピなんてありますか?

忙しくてレンジでチン!したい人はしてもらっていいんです。

でも誰もが持たなきゃいけないアイテムではありません。

テレビがないということ

テレビがないということはどういうことでしょうか?

まずCMを全く見ません。

購買欲をコントロールされる機会が格段に減るということです。

CMにでている芸能人への共感も薄れますから、彼らのゴシップに興味が無くなります。

彼らがアピールする商品にも全く興味が湧きません。

過剰な便利とコンビニ店舗数の推移

過剰な便利がコンビニの店舗数に如実に現れているように感じているのは私だけでしょうか。

コンビニの国内店舗数推移は右肩上がりです。

1983年から6,300店舗だったのに対して、2017年にはなんと54,000店舗。

34年の間に8.5倍に膨れ上がっています。

飽和状態と言われながらも、増加し続ける店舗数、追加される新しいサービス。

今一度、過剰な便利というものを振り返ってみれば、コンビニエンスストアという便利を凝縮した業態はもっと大人しくなってくれるのではないかと思うのです。

ミニマリストが生活から取り除くのはモノではなくて、自分にとって過剰な便利であるべきだと私は考えています。

そもそものミニマリスト的思考の源泉がここにあるように思うのです。

自分にとって過剰な便利は何かということを吟味するべきです。

そしてその過剰な便利を手放す、または過剰な便利を希釈するということが素敵な気がします。

過剰な便利を手放すことはイコール不便になるといことではありません。

カツオ節で極上の日常

最近、鰹節を削ってお味噌汁を作っています。

過剰な便利を排すると、鰹節の香りが漂う極上な日常がどれほど素敵なものか骨身に沁みて実感できます。

普段の食事は、具沢山のお味噌汁とご飯と漬物だけで十分。

カツオ節を削る時間を確保するために、必ずおかずが必要という考え方も捨てています。

これは土井善晴先生の一汁一菜でよいという提案に学びました。

Macと布団しか持たない苦行僧のようなファッションミニマリストはメディアでもてはやされるでしょうが、真のミニマリストとはいえません。

自分で心地よさを探し、過剰な便利というぜい肉が削ぎ落とされた時に、自分の心の広さを意識的に確保できるのが真のミニマリストだと言えそうです。

使用する電気は減り、イドラの幻影によって購買意欲を掻き立てられることもなく、ただただ自分の人生の一ページである日常を大切に手の中で温めいく。

そして、こういったミニマリストがある一定数を超えたときに、ひとつの大きな時代の潮目を作ってくれるのではと密かに期待しながら、今日もカツオ節を削るのです。

ちなみにカツオ節は世界一硬い食材で、その硬度は水晶やヒスイと同じくらいだそうです。








“おやゆび文鳥”

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