戒名っていう極楽浄土の有料アカウント

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戒名っていう極楽浄土の有料アカウント

仏教を調べ始めて思うのは、本来の仏教ってロジカル。

そのロジカルな仏教に全くそぐわないのが戒名ととかいう極楽浄土の有料アカウント。

尊敬する死者に金で買った極楽浄土でのステータスなんていらない。現世を精一杯生きたその名前を位牌に書いてあげればいいじゃん。って思うのは僕だけでしょうか。ごく普通に考えて。

ということで、僕が死んだら戒名はいりません。

菩提寺に入れない?いいよ、別に。なんで極楽浄土のアカウントを買わなきゃいけないんだろう。

戒名に院殿号って付ければ極楽浄土で無双出来るのかな?

ソシャゲの廃課金とどっちがいい?

そもそも極楽浄土ってあんの?

きっかけは祖父のお葬式

きっかけは、祖父のお葬式の時でした。

こんな会話が聞こえてきた。

「立派な戒名をいただいて。。。生前は〇〇学校の校長先生でしたからねぇ」

知ってる。田舎の学校の校長先生だったから、どこいっても校長先生の孫なんて言われてました。祖父は貧しすぎて、教員免許を取得のために極寒の樺太まで行った豪胆な人でした。

勉強も沢山教えてもらったし、祖父には本当に感謝してる。立派な人だったといます。

ただね、葬式に坊さんがしゃしゃり出てきて、勝手にアカウント付けんなよって思ったんですよ。

この名前で生きたんだから、この名前のままでいいじゃん!と率直に思いました。

理屈が大好きなはずの仏教なのに、この戒名ってやつはどう考えても理屈に合わない。

戒名不要の理由は下記の通り

  1. デザイン料として高額過ぎる
  2. 戒名は死者に付ける名前ではない
  3. 釈迦は死後の世界を説いてない
  4. 本来、仏教は神秘主義と無縁
  5. 戒名は自我への執着

1.戒名はデザイン料なのか?

相場は30万円〜100万円!

PCソフトでも戒名作れる時代にこの値段ですか。中古車買えちゃうよぉ。

デザイナーだって、こんなずさんな見積もりは出してこないです。

戒名は、死者の社会的地位やお寺への貢献度などによって位が決まるんだって。でもさ、位が高いほど高額なお布施が求められるって変じゃない? お金、欲しいだけだよね?

お葬式をサービス業として捉え、明朗会計してくれたほうが、誠実だと思うんですよ、僧侶の前に人間として。

名前つけるだけでウン十万円はさすがに高額。

2.仏教国で死者に戒名をつけるのは日本だけ

浄土真宗では「法名」、日蓮宗系では「法号」と言います。そもそも戒名は、死者に送られる名前ではありません。戒名は、仏門に入った証として「師から弟子に与えられる名前」のこと。

仏教国のスリランカでも死者に戒名を与えるなんてことはしません。

死者に戒名を付けるのは、日本仏教独自の後付けの風習です。

戒名は死者につけるものではないし、そもそも僧侶と死者との間に師弟関係もない。

3.釈迦は死後の世界を説いてない

そもそもお釈迦様は、あの世についてあるともないとも言ってない。ただ、バラモン教(多神教)の教えを熟知していたはずだから、輪廻転生についての考え方は持っていたと思います。

仏教において、釈迦がある問いに対して、回答・言及を避けたことを言葉を「無記」といいます。

わからないから答えられないのではなく、「敢えて沈黙」したということでしょう。

さて、ここからが大切。

例えば、この世界の存続期間や、霊魂の有無や、死後の生活など、仏道修行に直接関係のないことは沈黙で応えたという素敵なスタイル。これが仏教が今日まで生き残ってこれた大切な理由の一つなんです。

毒矢のたとえが有名

ある弟子が釈尊に対して、こういいます
「世界は未来永劫に存在するの?」
「世界には果てがあるの?」
「死後も存在するの?」
そして、これらの問いに答えてくれないなら、俺は弟子を辞めちゃうぜ!

これに対して、釈尊は答えます。

「たとえば、ある人が毒矢で射られたとするよね。みんなが心配して急いで医者を呼んできて、まず矢を抜こうとしたら、その男がこう叫ぶ。

『この矢は誰が射たのか、どんな名前のヤツか、身長はどれくらいか、都市部か田舎の人間か、これらのことがわかるまではこの矢を抜くな! オレはまずそれを知りたいだぁぁぁ!!』というのならば、その男の矢の毒によって死んじゃうよね? 君の問いはそれと同じなのよ。君の問いはさ、人間の苦しみや悩みとは全く関係のないことなんだ。説くべきことのみを君に説くほうがよくない?ねぇ?」

釈迦はそもそも死後の世界を説いていないから、戒名はいらないってことになる。

4.仏教は神秘主義と無縁

お釈迦様が語ったとされる言葉に最も近いとされるスッタニパータを読んでみるとよくわかる。

生きるための智慧のみが詰まっています。死後の世界を説いてません。

あと般若経を読んで、商売繁盛、祈願成就と書いてるお寺もあるけど、これもまともじゃない。

仏教では偶像崇拝も禁止しているから、仏像を拝むのも違う。仏像はあくまでも美術工芸品。

また、呪術とか占いの類を禁止してる。戒名の文字数で金額変わるのって、この呪術禁止に抵触してませんか?

仏教では呪術の類を禁止。金額で位が変わる戒名なんて必要なし

5.戒名は自我への執着

戒名には何の霊験もない。

戒名で金品を要求する必要性を仏教の教えに沿って説明出来るお坊さんは誰一人いないと思う。

そもそも「私とは何か?」を突き詰めたインド哲学と原始仏教の考えを知ると、もう戒名とかバカバカしくなってくる。

まず、仏教は全く何もない状態から突然ポーンと生まれたわけではないんです。もともとインドで培われたバラモン教の土台があってこそ仏教は生まれました。

バラモン教の奥義書ウパニシャッドで、ヤージュニャヴァルキヤという哲人が登場します。彼の有名な一節を簡単にご紹介。
「私という存在は認識するものであることは確かだが、認識するものをさらに認識することは出来ない。なぜなら無限遡行に陥るからだ」

思いっきり簡単に言ってしまうと、私という存在を完全に明らかにすることは出来ないが、私が認識しているというのは、確かだと言えるってこと。

これをベースに様々な修行僧が自我への執着を断ち切ろうと苦行を重ねるんですが、実際は自我へ強い執着を生むだけで悟りには至りませんでした。

この自我への執着から解き放たれたとされるのが、釈迦。

仏教でいう無我の境地への到達。無分別智ですね。

戒名ってこの自我への執着に他なりませんか?

葬式仏教を悪いとは言っていない

日本の仏教は、葬式仏教などと揶揄されることも多いですが、日本仏教の成り立ちを調べていくと、死者を送り出す役割を買って出た当時の僧侶たち(鎌倉仏教)の心意気は素晴らしいものだと思います。

当時、死とは穢れ(けがれ)であり忌避すべきものでした。これを当時の日本の僧侶たちが引き受けたのです。

それにあぐらをかいてきたのが今日の日本の僧侶です。

布施(戒名料)を金品で要求するって、それ仏教なんでしょうか?








“おやゆび文鳥”

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