95歳の老紳士と一緒に帰った話

シェアする

95歳の老紳士と一緒に帰った話

我が家の家系は、昔から道を訊ねられることが多いです。仕事を終え、駅のホームで電車を待っていると、一人の老紳士が私に話しかけてきました。

「このホームの電車はO駅に行きますか?」
「次に来る電車はO駅まで行きません。途中でN線に乗り換えれば行きますよ」
「わかりました。ありがとうございます」

数分後に電車が来たのですが、その老紳士は電車に乗る気配が全くありませんでした。そして、ホームにある路線図と睨めっこしています。私は少し心配になったので、もう一度声をかけました。

「次に来る電車であれば、O駅に乗り換え無しでいけますよ」
「ありがとうございます。O駅で乗り換えて、その先のA駅に行きたいんですが。。。」
「A駅ですか?O駅ではないんですね。A駅に行かれたいということですか?」
「そうです。A駅に私の家があります。こう見えても、私はもう95歳なんですよ。東京に出てくるのは30年ぶりでして、もう何がなんだか」
「A駅でしたら、O駅での乗り換えではなく、H駅での乗り換えになりますよ」
「そうですか。ありがとうございます。本当に東京の電車はわかりにくいですねぇ。もう4時間も、うろうろしています」
「4時間ですか?!」

その言葉を聞いて驚きました。4時間もの間、自分の帰る路線を探していてなんて。。。つまり、老紳士が最初から自宅があるA駅に行きたいと言わなかったのは、まずはO駅に行って、そこで最終目的のA駅行きの路線をまた聞こうと考えていたからだと思います。なるべく人に迷惑をかけたくないと仰っていました。

「心配してくださった方が交番に連れていってくれましたが、タクシーで帰りなさいとしか言ってもらえず。。。私にはそんなお金はありません」
「さすがに距離がありますから。私も同じ方向です、一緒に帰りましょうか」

次に来た電車で、彼と一緒に電車に乗り込みました。どう見ても95歳にはみえず、背中も曲がっていなければ、顔にもあまりシワがありません。

「昔、わたしは発明家だったんですよ」
「発明家ですか?」
「あなたがもっているその機械の一部を発明しました。その他にもたくさん発明しました。園遊会(天皇・皇后の主催で行われる交流会)にも招かれたことがあります。」
「すごいですね!」
「たくさん発明しましたが、当時は公務員のような扱いでしたので、お金はそんなにもらえませんでした。家に勲章もありますが、こんな年ですから、家族はもう誰もいません」
「そうなんですか。。。」
「東京は恐ろしいところです。もう昔とは街の姿がまるで違っています」
「そうですね」

ご高齢ということもあり、会話中の声のボリュームがどうしても大きくなってしまいます。発明に関しては、なかなか興味深い話でしたが、電車内で大声で話すのも気が引けて、いろいろ質問もできず。家に無事に帰ってもらうことに集中しようと考えました。しばらくして席がひとつ席が空いたので、彼に座ってもらい、わたしはその前に立ちました。

この老紳士を前にして、不思議な感覚がふつふつと心の中に湧いてきました。彼の話の内容が、違う時代から来た浦島太郎のような話しぶりで、わたし自身の世界がどんなに狭いかを痛感させられました。わたしの3倍近く生きてきた人です。

普段、これほど年の離れた人と接する機会はありません。仕事が日常生活の中心ですから、接することが多い年代というのは、20代から定年前の60代くらいでしょうか。

そういう年代と付き合っていると、やはり「消費」する話に終始します。年収はいくらか、車を持っているか、家は一戸建かマンションか、新しい趣味を始めて○○を買ったとか、このラーメン屋が旨いとか、今度あそこのイタ飯屋に行こうとか、ゴルフに行こうとか。。。などなど、人生で最も自由が利く年代ですから無理もありませんが、人生の視点が「消費」そのものです。

老紳士を前にして、自分が人生の消費時代を終え、肉体が衰えてきた時に、自分に残るものは何かという思いが頭の中を去来します。普段こんなことを考える機会はありません。

消費を終えた老紳士は思い出を語ります。その思い出の出処は、人生の主導権を握れる20代〜60代が中心です。そこで語られるのは、何を消費してきたかではなく、「生き様」のみです。消費し尽くした後に「人生の尊厳が浮き彫りになる」のが、定年後の人生の形なのかもしれません。

私はこの点に気づいて、一人戦慄しました。満員電車に詰め込まれて仕事をこなしながら、自分が欲しいモノを躍起になって手に入れようとしている自分が、老紳士と同じ年齢になった時にこのように語れるのかと。

そんなことを考えながらも、私たちは目的の駅に着きました。乗り換えのホームまで彼を見送り、あとは大丈夫だからという言葉もらったので、そこで別れることに。彼は私と固く握手を交わしてくれました。

私は新鮮な気持ちに包まれて帰路につきました。新しい視点をくれた、この老紳士に私は感謝しています。








“おやゆび文鳥”

シェアする

フォローする