未来から逆算する今日

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未来から逆算する今日

誰もが「一日一生」という気分で、その一日を全力で生きることが出来たらどんなに素晴らしいだろうと夢想する。その一方で、一番肝心な問題を先延ばしにし続けている。僕もそう。まだまだ、出来てない。「期限」がこちらに歩いてきて時間切れの笛を吹いてくれるのをじっと待つ方がずっと楽なんだ。やり残してきたことは多い。

前の記事にも書いたけど、僕は意志を継続させるための方法として、学習記録を複数付けている。そんな僕でも、学習ペースは日によって激しく上下する弱い人間だ。そう僕は弱い。まぁ、期末だから忙しいっていうのもあるけどね。

人生の締め切り日

分かりきった話だけど、僕には必ず終わりがくる。人の人生の締め切りは絶対だ。いきなり重い話になっちゃったけど、突き詰めるとココに行き着く。しかし、僕にはその期限がいつまでなのか把握できない。それでも、やり残したことのいずれか1つに向けて努力するぐらいの時間は残っていそうなもの。

1~2年先の未来から逆算する今日

把握出来るのは、1年とか2年とかせいぜい3年とか先の未来。それもおぼろげだけど、年を重ねるほどにゆっくりとベクトルというか生き様みたいなのが形成されていく。外の社会で活動することは、自分の外側に人格を据えるような心持ちになる。社会の中に同化しつつある自分。

片方の車輪は運命が敷いたレールの上を走っているけど、もう片方は噛み合わせるレールもないまま力なくカラカラ回ってる。それが何だか不思議と心地いい。

まさかの坂もあるかもしれないけど、それはきっと外的な要因。つまり運命の打撃というか病気とか事故とかそういうこと。一寸先は闇だってことはわかってる。そういった制御不可能なものを差し引いた上で、なんとか想像出来る1~2年先の未来。

1年で出来る事は本当に限られている

まずは自分の手の中にあるものをしっかり見つめる。大人の可能性は有限だ。そこから、次にどこへ向けて橋を架けることが出来るかを考える。決してやっちゃいけないのは、誰かの手の中を覗き込んで、あちらから自分に向けて橋を架けようとすること。人の敷地から橋を造り始めることは大抵成功しない。

一年はあっという間に過ぎていく。出来る事はどこまでも限られている。自分の手の中に残されたまたは手に入れてきた材料から、橋を架けていこうと思う。何年経ってもびくともしない大橋を架けようと思う。中空に浮いた片方の車輪が青空を食むように、自分の人生に夢中になりながらこれからも歩みを進めていきたいと思います。








“おやゆび文鳥”

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