努力したい人が努力すればいいんだと思う。したくない人はしなくていいと思う。向上心を持って前に進もうとする人を悪く言ってはいけない。その逆もしかり。
努力せずとも、人生の一定のところまで頑張ってみてあとはのんびり暮らすことだって悪いことじゃない。人生の歩みは人それぞれだから。
努力の結果
努力した結果どうなるかなんて誰にもわからない。努力と結果は一本道でつながっているけれど、喜ばしい状況をもたらすとは限らない。後押しはしてくれるけど、届かないことだってある。もしかしたら、望んだ結果に届かないことの方が多いかもしれない。サイレントマジョリティーなんて言葉もあるし。
後悔は先に立たないけれど、若さという資本は時間とともに少しずつ確実に消費されていく。この点だけを見すぎると、人生は老いとともに徐々に暗くなっていくように感じるかもしれない。ここから前進出来るかどうかは内面の若さというか瑞々しさだと思っている。人生の推進力は若さが徐々に消えてきた時に現れる輝き。大人は自分自身を灯火とする勇気を持たなきゃいけない。
努力が実らなかったとしても人生の推進力として、次の場面でそれらは活きてくることが多いんじゃないだろうか。
努力とは歩むこと
ポジティブでもネガティブでもない。ある時は風を切るように。またある時は、背中を丸めながら、晴れの日も雨の日も雪の日も歩みを進める。これが自分の考える努力の形。8ヶ月間勉強してきて感じたことは、努力は歩むことという感覚。日々の僅かな歩みの中で、景色はゆっくりと時間をかけて変わる。
イソップ寓話の北風と太陽の話があるけれど、北風と太陽よりもあの旅人の存在が印象深い。北風と太陽に翻弄されながらも、旅人の歩みの態度は柔軟かつ愚直。諦めるところと諦めないところをよく心得ているなぁと感心させられます。一番素晴らしいのは、人間らしい強さを持ったこの旅人だと思う。アリとキリギリスだとキリギリスが好きだったりするんですけどね! 彼は芸術家ですから先のことを考えられずに刹那的に生きるのは当たり前(笑)
地図が間違っていたり、情報が不正確だったりすれば道を間違えることもある。だから、地図は時々ちゃんと確認しなきゃいけない。目的地までの道のりが合っているのか、または新しい地図を買って目的地そのものを変更するのかを。
また、不運にも状況の変化により努力を諦めなければならない時もちゃんと想定しながら歩みを進めていかなければいけない。例えば、台風が接近している日に歩みを進めることは難しいし、人生の真夜中に差し掛かっているタイミングで歩みを進めるかどうかは家に籠ってよくよく検討しなければいけない。
歩むこと歩み続けること。たとえ僅かばかりでも、その足を前にだすこと。そして、眠るときは自分と周囲に対する希望と期待を全て投げ捨ててぐっすり眠ること。